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名称

西山浄土宗 西生院

校友名

[福岡県] 井中 卓良

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卒業年: 卒業学部:
1973年卒業 文学部
 

名称

浄土真宗本願寺派 照光山 安楽寺

校友名

[宮崎県] 弘中 康之

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卒業年: 卒業学部:
1990年卒業 文学部

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[安楽寺スローガン] 願いが響く、いのち温もる、いのち輝く [運動方針] 宗祖親鸞聖人のみ教えを仰ぐわたしたちは、聖人が90年のご生涯で身をもってお示しになれたその願いを、日々語り合い、日々の日暮しのなかで実践していくことが肝要です。 人と人との輪(つながり)、人と家の輪(つながり)、人と地域の輪(つながり)、人と社会の輪(つながり)が益々薄れてきた現在、それぞれの輪(つながり)の温もりを深めていくことが不可欠です。
 

名称

浄土真宗本願寺派 仏心寺

校友名

[岐阜県] 坂口 祐紹

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卒業年: 卒業学部:
1983年卒業 文学部

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2023年に開創500年。関ヶ原の戦いに向う途中、徳川家康が休憩のため腰掛けた石がある。(伝承)
 

名称

浄土真宗本願寺派 白藤山 超勝寺

校友名

[福井県] 壬生 照泰

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卒業年: 卒業学部:
1976年卒業 短期大学部

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明応の昔、綽如(しゃくにょ)上人様がこの寺を中心に、本願寺の念仏のみ教えを、もっと北陸の人々にも広めたいと云う、尊いお心からつくられた寺で、反古裏書(ほごうらがき)と云う古い書にも、そのため寺は、加賀の本願寺の全寺院は、「超勝寺の与力とする」、即ち「超勝寺の力になる様に」定められたのでした。誠に尊い使命を負うた(法燈が点ぜられた)寺がつくられたものです。文明の頃、蓮如上人様が吉崎御坊より、一時この寺に法難をさけられ、また加賀本蓮寺より迎えた内室の早世をあわれに思われ、上人は我が御子蓮周姫を、その後に入れられて寺の苦難を救われました。昭和の初年、壬生照弘様が住職となられるまでは、当寺は別格別院として本願寺御門主勝如上人様が、住職をご兼務下さいましたなど、開創以来、この寺の尊い使命伝持に本願寺は、お力添えを賜り、寺も門徒もその様な使命をもつ寺の護持には、格別の力を務めてきたのでした。
 

名称

浄土真宗本願寺派 慶崇寺

校友名

[福井県] 堅達 俊英

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卒業年: 卒業学部:
1990年卒業 文学研究科

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慶崇寺の起源は、平安時代中期に安楽三十坊が現在の福井市堅達町に建立されたことによる。安楽三十坊は天台宗の寺院集団で、堅達町の名前の由来も、天台宗の経文の中にある仏教用語だといわれている。1390年頃、比叡山の論争の影響で、安楽三十坊も衰微したが、主領寺である安楽院や地蔵院は残ったという。 天台宗の寺院として維持されていた安楽院(慶崇寺の前身)だったが、1464年、加賀山中において蓮如上人の高徳に帰依して、浄土真宗に改宗した。この時の住職が、初代了正である。三年後の1467年に、堅達町のすぐ近く、現在の福井市坂下町に寺基を移転した。しかしその後、戦国の動乱にまき込まれ、困難な時代が続く。 
 

名称

浄土真宗本願寺派 光明寺

校友名

[福井県] 髙屋 顕裕

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卒業年: 卒業学部:
1985年卒業 文学部
 

名称

浄土真宗本願寺派 上宮山 教法寺

校友名

[福岡県] 原田 智昭

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卒業年: 卒業学部:
1996年卒業 社会学部

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教法寺は福岡市の西隣、糸島市の井田というところにあります。 開基については、当山第7世釈大信の『教法寺の由来記』を見ると、 「怡土郡井田村上宮山教法寺開基は原田了栄(高祖城主)の士官、原田何某といふ人あり、 佛法に帰依し剃髪して玄意と号す。則ち家紋はスワマ同表菊なり、 準如上人より教法寺と下され候。」 と記されています。
 

名称

浄土真宗本願寺派 明導寺

校友名

[熊本県] 藤岡 教顕

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卒業年: 卒業学部:
1997年卒業 文学部

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大正15年(1926)に完成した本堂は、木造洋風様式の建築物で設計者は当時の住職の長男・藤岡眞月(ふじおかしんげつ)。平成10年(1998)9月25日、国の登録有形文化財に指定されました。 明導寺本堂は、大正14年(1925)9月起工、翌年15年1月完成。基礎はコンクリートで腰をレンガ積みとし、壁は下見板張りの外壁にマンサード屋根(折れ曲がった屋根)を架けた、シンメトリー(左右対称)な建物です。入口は妻入りで正面玄関には切妻屋根を設け、ハーフチンバーとします。ゴシック風の尖頭アーチの上げ下げ窓、ルーバー窓など教会風で特徴的です。また、内部は外観とかわって、和風のつくりになります。 この木造洋風本堂を設計したのは当時の住職の長男・藤岡眞月。京都の龍谷大学に学び、西田哲学に傾倒した学生でしたが、一方、独自で建築を学びました。当地の文化の殿堂となるよう洋風様式とし、また関東大震災(大正12年)の教訓を生かした耐震設計を考慮しました。 本堂が完成した翌昭和2年、藤岡眞月は25歳の若さで没しました。
 

名称

浄土真宗本願寺派 慈願寺

校友名

[熊本県] 那須 弘紹

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卒業年: 卒業学部:
1990年卒業 文学部

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在学中、ひょんなことからKBS京都のラジオ番組にレギュラー出演。それがきっかけとなり、タレント活動や作家活動を始める。熊本に帰った後も、タレント兼作家としてラジオ、テレビ、舞台で活動する。
 

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浄土真宗本願寺派 正念寺

校友名

[秋田県] 小山 昭眞

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1965年卒業 文学部
 

名称

浄土真宗本願寺派 日照山 長善寺

校友名

[広島県] 大内 寛文

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卒業年: 卒業学部:
1995年卒業 文学部

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建久年間(1190~1199)の創建にして最初は賀茂郡西野村(現、竹原市西野町字宗徳)にあって、大内山長善庵と称し天台宗に属していた。 永正十一年(1514)九月に、玄智坊善恵律師(?~1530)が真宗に改宗し長善寺と號した。 顕如上人の命を受け天正四年(1576)毛利軍と共に石山合戦に参戦。信長軍に包囲された石山本願寺へ船で兵糧米を届け本願寺を護る一助となる。 この時船の舳先へ掲げた「進者往生極楽 退者無間地獄」と記された旗が現在も宝物として残っている。 その後弾圧を受けることとなり、慶長十九年(1614)福島正則軍によって寺が焼失。元和元年(1615)春に豊田郡入野村字大谷(現、東広島市河内町入野)へ移転し、江戸時代を過ごす。 しかしここでも元治元年(1864)四月火災に遭い、本堂庫裡とも焼失した。 その後、明治七年(1874)六月、第十八代住職大淳(ダイジュン)によって、現在地へ移転された。
 

名称

浄土真宗本願寺派 康善寺

校友名

[福島県] 海野 卓哉

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卒業年: 卒業学部:
1970年卒業 文学部

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康善寺略縁起によると、宗祖大師親鸞の弟子で明教房順智は、もと平氏の一族であったが、その没落後、源空(法然)のもとで出家し、東国に流された親鸞を慕って下りこれに仕えたという人である。 初代明教房順智は当寺開基。師は、東北教化のため、この地にとどまらり信夫郡黒岩村に秀安寺という草庵を営んだという。 現住職は25代目。
 

名称

浄土真宗本願寺派 仏厳寺

校友名

[熊本県] 高千穂 哲也

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卒業年: 卒業学部:
1987年卒業 文学部
 

名称

浄土真宗本願寺派 東光寺

校友名

[大分県] 高尾 正音

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卒業年: 卒業学部:
1988年卒業 文学部
 

名称

西山浄土宗 深専寺

校友名

[和歌山県] 松下 瑞應

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卒業年: 卒業学部:
1963年卒業 文学部

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(開創)奈良時代  (開基)行基菩薩・海雲院と称す。室町時代、光雲明秀により浄土宗西山派に改宗、深専寺と称す。 本堂は県の文化財に指定され、屋根を見ると大きなしゃちほこがあり目を引きます。門前には津波の教訓を伝える「大地震津波心得の記の碑」が立っています。
 

名称

浄土真宗本願寺派 誓興寺

校友名

[奈良県] 太田 信隆

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卒業年: 卒業学部:
1954年卒業 文学部
 

名称

聖徳宗総本山 法隆寺

校友名

[奈良県] 大野 玄妙

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卒業年: 卒業学部:
1970年卒業 文学部

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法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。
 

名称

真言宗泉涌寺派 今熊野観音寺

校友名

[京都府] 藤田 浩哉

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卒業年: 卒業学部:
1970年卒業 文学部

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四季折々に自然の美しいいとなみが見られる幽寂なる空間、熊野権現示現の伝説の聖地。東山三十六峰今熊野山のふところにいだかれて、今熊野観音寺は荘厳なるたたずまいを見せております。鳥居橋の写真 後白河法皇より山号を賜り、「新那智山」と称します。 今熊野観音寺は、西国三十三ヶ所観音霊場の第十五番札所、ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場の第一番札所、京都泉山七福神のえびす神奉祀、 洛陽三十三所観音霊場の第十九番札所、神仏霊場会の122番(京都42番)霊場として名高く、また古くからの霊験記にも記されている通り「頭の観音さん」として広く人々の信仰をあつめております。
 

名称

律宗総本山 唐招提寺

校友名

[奈良県] 西山 明彦

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卒業年: 卒業学部:
1982年卒業 文学部

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唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。 鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。
 

名称

天台宗那智山 青岸渡寺

校友名

[和歌山県] 高木 亮享

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卒業年: 卒業学部:
1961年卒業 文学部

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熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としない。伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。後に推古天皇の勅願寺となり、6世紀末 - 7世紀初に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたという。以上はあくまでも伝承であるが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。中世から近世にかけて、隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場であり、如意輪堂と称されたその堂舎は、那智執行に代表される社家や那智一山の造営・修造を担う本願などの拠点であった。