校友クローズアップ  石井 謙司さん

校友クローズアップ

人の役に立つものしか残らない

ヤマハ発動機販売株式会社
代表取締役社長
石井 謙司さん

(1987年経営学部卒業)

校友会報89号(2019年9月発行)より

石井 謙司さん

学生時代は、厳しい指導で知られた経営学の林昭先生のゼミで、一生懸命勉強しました。「鬼の林」と言われていましたが、その“林先生が好き”な学生が集まったゼミだったように思います。卒業論文は「製造業の日本的経営」。この卒論が就職に大いに役立ちました。

学生時代のアルバイトは二つ。一つは鈴鹿サーキットで、レース運営側の仕事。もう一つは、梅田のガード下のカウンターバー。常連のお客さんばかりの小さな店で、大手企業の人も多く、いろいろな話を聞くことができたおかげで、就職活動の面接ではあまり緊張せずに済みました。

また、音楽が好きだったので、軽音楽部に入ってバンド活動もしました。今でも高校時代の仲間と、年に一度はライブをしています。

自転車やオートバイが好きで、よくユースホステルに泊まって“青春の旅”をしていました。父親は転勤族だったので、日本各地を転々としました。

釧路にいた高校生のとき“オートバイの師匠”に出会って、オートバイに夢中になりました。ヤマハのオートバイはセンスが良いと感じていました。モノづくりに興味もあり将来はメーカーに入りたかったので、ヤマハに入社できたのは、いわば願いがかなった形です。

入社してから10年間、東京で営業をしました。

“営業=販売”と思っている人が多いのかもしれませんが、営業はマーケティングの一環です。モノの流通は、営業にかかっています。その先にあるのが販売です。営業を経験してモノが流通する現場で学んだことが、1997年から本社で携わった電動アシスト自転車PASの企画・開発で大いに役立ちました。

PASは、世界初の商品で、お客様に理解してもらうのは大変でした。新規事業なので黒字になるのにも時間がかかり、会社からは「いつまでもやらせておけないよ」と言われたりしました。

2004年にリチウムイオン電池が開発されたことが、技術的なターニングポイントとなりました。構造改革も取り入れながら2005年にやっと黒字にすることができました。一時は20数社も参入して競争が激しい時代もありましたが、現在は国内大手3社にほぼ集約されています。

日本での販売数は年間約70万台ですが、ヨーロッパでは、電動アシスト自転車(e- BIKE)がその2倍以上売れています。日本でも電動アシスト自転車市場は順調に育っており、子育て世帯やシニア世代など、日常の足として活躍しています。改めて“人の役に立つものしか残らない”と感じています。

私は社員と取引先と同じ目線でやっていくということを心がけています。

若い社員には、最後まで諦めない、ぎりぎりまで粘る、しんどい時こそ心を込める、というようなことを言っていますが、自分に言い聞かせている内容でもあります。

今後は、オートバイは楽しいものなんだということを、ヤマハから世の中の人たちにもっともっと発信していきたいです。また、あらゆる点でこれまでやってきた仕組みを変える時に来ています。働き方改革など、世の中は早い時間軸で流れています。次の世代に託すために、基盤づくりを是非やりたいと考えています。

初代PAS
初代PAS

石井 謙司(いしい けんじ)

1963年東京生まれ。1987年経営学部卒業、ヤマハ発動機株式会社入社。10年間はモーターサイクル営業。1997年から17年間電動アシスト自転車PAS企画開発。14年にヤマハ発動機販売株式会社出向。17年取締役、翌年代表取締役社長に就任。