2022年3月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです
校友クローズアップ
「何が起こるかわからない人生で、ベストを尽くす」
DJ/プロデューサー(FPM)
田中 知之さん
(1989年 法学部卒)
校友会報94号(2022年3月発行)より
いつも心に音楽が
龍谷大学へは高校3年の時点で推薦が決まり、その頃から京都のディスコ「マハラジャ」で皿洗いのバイトをする中で、DJという存在を知りました。大学では3年で卒業単位を全て取り終え、4年生は主に学外で音楽活動をしていたのですが、大学での楽しい思い出は多く、特に上海旅行の「鑑真丸」での船上パーティーでDJとして参加できたことが心に残っています。
バブル終焉とともにバンドブームが下火になり、プロになることは難しく、卒業後は音楽の次に好きだったアパレル関連で、大手メーカーの企画部に就職。そこで受けた雑誌の取材中たまたまスカウトされ出版社に転職しました。そんなサラリーマン時代も、終電まで働き、退勤後は朝までDJをプレイするという一貫して音楽漬けの日々でした。その中で、京都のクラブ「メトロ」で開いたイベントが世界中の音楽業界から注目を集め、それを転機にメジャーデビューを果たしました。そこから、世界60か国余りを飛び回って、色々な場所で音楽活動をさせてもらっています。
2021年夏の国際的なスポーツ大会の音楽監督として
取り上げられるのは、決まって東京2020オリンピック開会式の冒頭を手がけた部分ですが、実際には東京2020開閉会式で音楽の関わる全範囲に責任を持つのが音楽監督です。
延期前の当初は、パラリンピック閉会式の音楽監督でしたが、2021年1月に東京2020オリンピック開閉会式およびパラリンピック開会式の音楽監督として正式に依頼を頂きました。本格的に動きはじめた3月頃からコロナ禍が再拡大し、大人数の会合が禁止され、練習の場も奪われました。直前まで度重なるトラブルや退任劇があり、国内外から厳しい目が向けられ、組織委員会やIOCとの交渉も難航。そして大会本番の4日前になって、開会式冒頭4分半の音楽が白紙になったのです。監督である僕が作るしかないと、既に完成していた映像やパフォーマンスとのシンクロといった細かな制約の中を実質30時間で作曲しました。閉会式に用いた冨田勲さんのシンセサイザーの楽曲が、一度は差し換えを命じられたのですが、彼がいかに偉大な音楽家であるかをIOCに熱弁し説得しました。コロナ禍がなければもっと伸び伸びできたのでしょうが、開催への不安を常に抱えながら、様々な障壁やトライ&エラーを乗り越えてきたプロジェクトでした。それでも、無事に、と言えるかどうかはさておき、式典を開催できて、自分でも納得いくものを作り上げた貴重な経験でした。悔いは残っていません。
チャンスに乗る勇気を持ち続けて
9.11テロ事件当日に予定していたワールドトレードセンターでのDJイベントが、たまたま前倒しになって危機を免れました。大学時代には高校も同じだったゼミの仲間を、そして卒業直後には4年間仲が良かった友人を、病気で亡くした経験もしました。
僕は、苦労をできるだけ避けるタイプですが、ただし常に”チャンスと流れに乗っかる勇気“を持ち続け、自分のベストを出し尽くすようにしています。その精神が根付いたのは、人生何が起こるかも分からず、命は儚いものだと痛感してきた経験からなのかもしれません。
王道の音楽家とはいえない僕が、東京2020オリンピックの音楽監督までさせていただいた。そんな経験が少しでもこれからの若者たちの力になればと、今年、ある音楽大学で講師をすることになりました。大学の勉学では学べないようなことを伝えていきたいと思っています。
田中 知之(たなか・ともゆき)
95年デビュー以降、8枚のオリジナルアルバムをリリース。多数のアーティストのプロデュースや、布袋寅泰、東京スカパラダイスオーケストラ、サカナクションなど100曲以上の作品のリミックスも手掛ける。海外映画・ドラマへの楽曲提供の他、世界三大広告賞でそれぞれグランプリを受賞したユニクロのウェブコンテンツ『UNIQLOCK』の楽曲制作も担当。海外でも約60都市でのプレイ実績を誇り、米国のコーチェラ・フェスティバルなど海外の有名フェスへの出演経験も多数。
※リミックスとは原曲を編集し、新しいバージョンの楽曲を作り出すこと