校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第96号 浄土門 ここに始まる 照紅葉
2023年3月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです
西山浄土宗 総本山光明寺法主
沢田 教英
34年愛知県生まれ。57年文学部卒業。22年3月に西山浄土宗(総本山光明寺、長岡京市)第88世管長。西山浄土宗で初の尼僧の法主(管長)に就任。任期は5年間。光明寺法主を兼ねる。卒業後は、寺で学習塾を開き、子どもたちを指導した。裏千家の正教授として自坊の茶室「放光庵」で茶道を指導し、多くの生徒に慕われる。公益社団法人全日本仏教尼僧法団の副理事長・京滋支部長でもあり、京都仏教会の参事も務める。
総本山光明寺はその昔法然上人によりお念仏の教えが説かれた所であります。これに因んで正親天皇より(永禄年間)「法然上人ノ遺廟、光明寺ハ浄土門根元地ト謂ツベシ」との綸旨を賜っております。
私は昭和九年愛知県で生をうけ、七歳のとき父の早逝を機に「お寺にいけば甘い物が沢山食べられるよ。」という文字どおり"甘言〟に誘われて京都の尼寺へやってきました。以来八十年苦しく厳しい時代もお念仏の信仰とともに生き抜いてまいりました。この度、不計も昨年十二月西山浄土宗総本山光明寺の第八十八世法主に推戴され晋山させていただきました。光明寺八〇〇年余の歴史の中で尼僧教師が法主に就任したのは初めてのことだそうです。永い年月がかかりましたが宗門のジェンダーフリー意識と沢田教英の存在が結実した瞬間であったと思います。
仏教はお釈迦様が出家され難行苦行、瞑想によって真理のお覚りを得られて民衆の苦悩に応じて対処され安寧な心地へと導いておられます。法然上人は九歳のとき受難による父上の死に遭遇されました。しかし、「敵に敵討ちをしてはならない」という亡父の遺言を守りお釈迦様の教旨でありました民衆を苦悩から救う法を求めて十五歳にして比叡山へと向かわれました。しかし当時の仏教とその僧侶は官僧組織であったため一部の貴族や上流階級の人々に庇護され国家安泰や無病息災などを祈祷する特権的な存在でありました。一方で民衆は大地震や飢饉により洛中の辻々には屍が放置され疫病が蔓延し京の都は地獄絵図さながらであったことが「方丈記」にも記述されています。その中にあって法然上人は何とかこの民衆の苦悩を救済せんと勉学に努められますが、「如何にせん、如何にせん、また如何にせん」と自らも焦りと苦悩の日々が続きました。
しかし、何時か夜明けはやって来るものです。四十三歳の或る日のこと中国唐代の僧侶、善導大師の著書「観経之疏」の一文が目に飛び込んできました。「彼の仏の願に順ずるが故に」仏の世界へは修行修学に励み自力にて近づくばかりではなく、阿弥陀仏の願いによって既に私たちは救済の対象になっており、仏の側から近づいて来て下さっているという「本願他力」の法に気づかれ凡夫往生の道を開かれました。
来る令和六年はその凡夫往生への道が開扉されてから八五○年の節目を迎えます。私は幼き日に人生の先行きもわからぬまま母と別れて尼寺の門を潜りました。これも予てよりの阿弥陀様の計らいに依るものと今は感謝の気持ちでいっぱいであります。
法然上人によって達成された仏教の民衆への開放とお念仏による女人往生の道が開かれ現代まで脈々と受け継がれています。私はいま法然上人の御本廟(ご芳骨が納められた墓所)であります総本山光明寺の法主としてご縁をいただき、お護りさせていただいております。
龍谷大学卒業生の老若男女の方々は私ども尼僧教師をはじめ女性住職も少なくありません。あらゆる地域や職場で活動の場を拡げておられます。法然上人のお弟子であられました親鸞聖人はお念仏の教えの裾野を更に拡げられ大教団へと発展を遂げています。
世情不安の昨今、開宗当時のご苦労を思い両宗祖の普遍不易の教えを心に刻み日暮らしをしてまいりましょう。この度の貴誌投稿のご縁に感謝申しあげますとともに、母校益々のご発展と卒業生の皆様方のご活躍を祈念いたします。
2023(令和5)年3月15日発行