校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第98号 西国三十三所と世界の巡礼
2024年3月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです
真言宗中山寺派 管長
大本山 中山寺 長老
今井 浄圓
57年兵庫県生まれ。龍谷大学大学院文学研究科(仏教学)博士課程修了。種智院大学特任教授、大本山中山寺長老、善通寺教学振興会研究員、一般社団法人仏教検定協会理事。「密教学、聖地、巡礼、観音信仰、仏教美術」をキーワードに研究を続ける。
日本最古の巡礼街道である西国三十三所の札所会は、平成三十年に草創一三〇〇年の大きな節目を迎えました。これは養老二(718)年に、奈良・長谷寺の御開山として知られる徳道上人が冥途(死出の旅)の途中で閻魔大王のご託宣をいただいて起請文と三十三の御宝印を授かり、現世に戻られたという寺社縁起に由来します。徳道上人は御宝印に従い、三十三所の霊場を定めた観音信仰を広めようとしましたが、世間に信じてもらえなかったため機が熟すのを待つこととし、御宝印を中山寺の石櫃に納めました。それから約二七〇年後、花山法皇が紀州国の那智山で参籠していた折り、熊野権現が姿を現し、徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように神託を授けられたと伝えられています。花山法皇は中山寺で御宝印を探し出し、播磨の書写山圓教寺の性空上人の勧めにより、河内の石川寺の仏眼上人を先達とし、三十三所霊場を巡礼したことから、やがて人々に広まったという伝説的な寺社縁起が数多くあります。そこで、西国札所会では、徳道上人を観音巡礼の始祖とし、花山法皇を中興の祖としています。
「巡礼」という言葉が最初に出てくる日本人の著作は、平安初期の入唐求法僧・慈覚大師円仁の『入唐求法巡礼行記』です。石川先生によれば、唐代の敦煌文書では、「巡礼」は「巡歴」・「遊歴」・「遍礼」などとともに聖地、霊蹟、諸寺院をめぐる行為を意味していましたが、平安中期に編纂された仏教説話『法華験紀』には「日本国の中の一切の霊しき所に巡礼して」、「処々の霊験の勝地を巡礼して」とあり、巡礼はあきらかに多くの聖地を巡歴する行為をさして使われています。従って、特定の聖地をお参りする「伊勢参宮」「熊野詣」「善光寺まいり」「金比羅まいり」などは、巡礼とは呼ばれていません。
宗教学者の星野先生は、「巡礼は居住地である日常空間、俗なる空間を一時離脱して非日常的な空間、聖なる空間に入り、そこで聖なるものに接近し、接触し、その後再びもとの日常空間、俗なる空間に復帰する行動である。すなわち巡礼とは、日常生活の空間と非日常生活の空間との往復運動である」と定義されています。また、田中先生は著書で、「巡礼には、巡礼の対象・目的となる聖地(霊場や巡礼地)、聖地に向かって巡礼行為を行う巡礼者、巡礼者が通行する経路である巡礼道・巡礼路の三大要素がないと巡礼という宗教行為は成り立たない」と述べています。
目的となる聖地には、特別な自然地形や自然物(火山、巨石、巨樹(ご神木)等)、名刹・古刹・神祠(観音、薬師、阿弥陀など、神仏にゆかりのあるもの)、高僧・聖人・殉教者ゆかりの地(弘法大師、法然上人、親鸞聖人など、聖者ゆかりの地)などの条件があります。また、聖地は日常生活から離れた遠隔地、ただし少し頑張って苦労すれば、たどり着ける程度の距離にあることも重要です。
巡礼道は交易路であり、通商路であり、大量の物資と情報を伝達する道でした。長い巡礼道の周辺には当然ながら異教徒も居住しており、巡礼者に敵対的な場合もありますが、異郷の同信者との出会いもあり、巡礼者にとって自己の信仰を確認する道でもありました。
もう一つの視点として、民俗学者のファン・ジェネップは著書で、「通過儀礼とは人間の一生の節目で行われる儀式である。誕生、成人、結婚、葬儀などの代表的な人生の節目は当事者にとっては一種の危機であって、何らかの肉体的、精神的、あるいは彼を取り巻く環境が大きく変化するから不安定になる。その不安定を乗り越えるために行われる宗教的行事である」と述べています。
また、通過儀礼は、旧状態から分離の段階、旧状態から分離したものの未だ新状態を得ていない移行、新状態に合入する再統合の段階という三段階があるが、これは俗なる共同体から出発し、聖なるものに触れ、また俗なる共同体に帰ってくる巡礼と似ていると指摘しています。
西国三十三所観音霊場は日本遺産に認定されましたが、そのコンセプトに「日本の終活の旅」というストーリーを掲げていました。
昔から「人生は旅である」という死生観があり、松尾芭蕉の『奥の細道』は「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」と始まります。現代人の感覚では旅は空間での移動に過ぎないと思いますが、芭蕉は時間も旅だと述べています。これはまさしく諸行無常であり、人はこの世にやって来る時、時間も空間も旅してきたのです。あの世と呼ばれる世界から母胎に宿ってこの世にあらわれ、そして亡くなるまでの期間も旅なのだということです。あの世とこの世という二つの世界が設定されており、私たちは空間を移動しながら旅をしてきたのですが、無常の中を生きることは時間を旅することと同じなのだというとらえ方なのです。
人生もそういった意味では非常に巡礼に近いものではないかと思います。何といっても人生最大の節目は死ですから、日本人が古代からつくってきた「人生は旅である」という死生観を理解できるのではないでしょうか。あの世に旅するための死装束は手甲に脚絆にわらじばきという江戸時代の衣装であり、地方によっては菅笠や経帷子を着せる、あるいは生前に巡っていた西国札所の笈摺や納経帳を納めるという風習がありました。まさしく江戸時代の巡礼の旅姿に他なりません。死が恐ろしいということは最終的な消滅であり、愛する家族や友人たちと永久の別れであると考えるからですが、人生は旅だという死生観から見れば、日本人にとって死とは時間の旅の中の一つの過程に過ぎず、まして死は彼岸へ旅をするだけなのだから悲しくも恐ろしくもない、ただ向こうの世界に行くというイメージを多くの方が持っておられたのではないかと思います。
世界の巡礼、例えばイスラーム教における大巡礼(ハッジ)はムスリムの義務であり、聖地には異教徒は入れませんし、イスラーム暦のズールヒジャ月のみ行われており、それ以外の期間に行っても巡礼とは認められていません。それに比べて日本の巡礼は非常にゆるやかです。いつ始めてもいいし、だれでも参加することが許されています。巡礼に行き、聖なる体験をされてはいかがでしょうか。
2024(令和6)年3月15日発行