校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第88号 極楽浄土を目の当たりに
2019年3月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです
天台宗三千院門跡執事長
穴穂 行仁
穴穂行仁(あなほ・ぎょうにん) 71年西国三十三所第二十一番札所の穴太寺(亀岡市)に生まれる。90年に龍谷大学文学部哲学科に入学し、94年に卒業(指導教授は石田慶和教授)。同年大学院文学研究科に進み、渡邊隆生教授のもとで学ぶ。修士論文は「趙宋天台の研究」98年に池上院住職、08年穴太寺副住職、15年天台宗京都教区宗務副所長、17年7月三千院門跡執事長に就任。
三千院門跡は、天台宗を開かれた平安時代の伝教大師(最澄)が、比叡山東塔南谷にあった梨の巨木の下で草庵を営まれたことに始まると言われます。その後、寺地は坂本(大津市)や洛中に移され、応仁の乱(1467〜77)でお堂が焼失したことから、現在の大原の里に移りました。
大和坐りの仏さま
三千院には、一般で言う本堂にあたる宸殿と往生極楽院をはさんだところに、聚碧園と有清園のふたつの庭園が広がっています。どちらも苔の緑と紅葉の朱のコントラストが美しいと、お参りされた方々に喜んでいただいております。
そして、往生極楽院。お堂は国の重要文化財に指定されていて、堂内の仏さま(阿弥陀三尊像)は国宝です。この往生極楽院は、平安時代に恵心僧都(源信)が両親のために姉と共に建立したと伝えられています。
中央に阿弥陀如来がどっしりとお坐りになっていて、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩がおられます。正面からでは分かりませんが、この両菩薩は拳ひとつぐらい腰をあげておられます。このお姿を「大和坐り」と呼んでいます。三千院ならではの、珍しいお姿です。人々を阿弥陀如来の極楽浄土へ救いとるため、今すぐにでも駆けつけたいという仏さまのお心と動作を、彫刻として表そうとしたことから、大和坐りのお姿になったのだと思っています。
お参りしていただくとよく分かるのですが、小ぢんまりとしたお堂です。でも、仏さまの前で手を合わせて坐ると、目の前に拝する一丈六尺(2.3m)の阿弥陀さまが、非常に大きく感じます。
また、お堂の天井は三角形、いわゆる船底天井になっていて、極楽浄土の美しい有り様を表すために、空中を舞う天女や供養仏が極彩色で天井に描かれています。今は香煙などの煤で真っ黒になっていて、肉眼で確認しづらくなっているので、境内の円融蔵(宝物館)で、創建当時のままの極彩色で、原寸大の天井画を復元しています。
この往生極楽院の阿弥陀如来のお姿を間近に礼拝していただき、仏さまの世界である極楽浄士に思いを馳せていただければと思います。
宮中での法会を再現
また、三千院には「宮中御懺法講絵巻」(重文)という、仏事の様子を描いたものが伝えられています。今から860年ほど前、後白河天皇が宮中でとり行った仏事が起源だとされています。「懺法」とは、私たちが日常生活を送るうえで作ってしまう「罪」を懺悔するという法要です。貪(むさぽり)瞋(いかり)癡(ぐち)の「三毒」を取り除き、心を清らかにするのです。
この「宮中御懺法講」の法要は、三千院の門主が代々、導師となってつとめてきました。しかし、明治の神仏分離令によって一時途絶えますが、復輿され、毎年5月30日につとめています。
お経に節をつけた声明と雅楽による、三千院で最も重要な法要です。
龍谷大学での宝物
ところで私は丸8年間、龍谷大学の学部と大学院で学ばせていただきました。大学には本願寺派のお坊さんだけではなく、南都(奈良仏教)や禅宗の方など、さまざまな宗派のお坊さんが来られています。私は今も京都・壬生寺の松浦俊昭さんや東福寺の爾英晃さんなどの同期の方や、薬師寺の先輩方々に親しく接していただいております。
宗派を越えて横につながる、これが龍谷大学でしか得られない宝物、龍谷大学でしか叶えられないことだと感謝し、ありがたく思っています。
2019(平成31)年3月14日発行