校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第82号 わが子を捨てられぬ母ごころと仏さま
2016年3月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです
浄土真宗本願寺派(元)宗務総長 圓勝寺住職
橘 正信
橘 正信(たちばな・しょうしん)42年岐阜県生まれ。
70年に龍谷大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。その後、浄土真宗本願寺派岐阜教区・圓勝寺の住職として法務にたずさわり、97年に同派の宗会議員、05年に同派の総務、09年に宗務総長、龍谷大学理事長に就任。現在、宗会議員と龍谷大学理事。
大震災の東北で
大震災の東北で 平成23年(2011)3月11日、浄土真宗本願寺派の総長だった私は、西本願寺である会議に出席しておりました。午後3時ころでしょうか、大変な地震が起こったことを知り、あわててテレビを見ると、東北の様子が報道されていました。今年でまる5年を迎える東日本大震災です。
私どもの教団には地域ごとに教区というものがあり、そこに多くの寺院があります。東北教区のお寺やご門徒さんを支援するため、即座に西本願寺に災害対策本部を立ち上げ、翌12日に職員3名を車で現地に派遣いたしました。
現地で職員が被害の状況を聞いたところ、3月11日に仙台別院で会合があり、多くのご住職が集まっておられた。しかし大震災により、すぐにご自坊に戻られたといいます。そこで安否確認をしたところ、一ヶ寺だけ不明なご住職がおられました。避難所を探しても、見あたりません。職員が必死になって探したところ、そのお寺の近くの2階の部屋の片隅に、住職夫妻と2人の子どもさんが、身を寄せておられました。
職員が「本願寺からきました」と伝えても、疑いの眼がかえってきます。子どもさんの一人は障がいをお持ちで、避難所にいては他の方々に迷惑をかけるからと、かたくなに拒否されていました。
職員が「ガスも電気もないこんなところにいたら、死んでしまいますよ」と声をかけますが、ご夫妻は首をタテに振りません。何度も何度も説得した末、ようやく奥さんが子どもを連れ金沢の実家に避難し、ご住職はそのまま留まるということになりました。
その報告を聞いて、私も現地に向かいました。津波でこわれた本堂の中には、乗用車が2、3台埋まっています。お墓にはトラックが横たわっていました。ご住職は本堂からご本尊を持ち出してご安置し、その横には子どもさんの書き初(ぞ)めが掛けられていました。
「この書き初めが唯一、子どもを思い出すきっかけになるのです。この書き初めを見ながら、何とかここでがんばっているのです」と、話されました。そして私が、そうですか、これからも何とか支援させていただきますからと別れを告げようとしたとき、やにわに私の手をつかみ大声で「総長さん、泣いていいですか――」と。私は思わずご住職の体を抱きしめ、2人で号泣しました。そして、ご住職は「ああ、これでほっとしました」と。
私も子どものころ、何かいやなことがあって母親の懐に飛び込み、大泣きしたことがありました。そして、「おかあちゃんがおるから心配するな」と言われ、気をとり直してまた外へ遊びに出かけたことを思い出します。
アインシュタインと「姥捨て山伝説」
話は変わりますが、昨年は、ドイツ生まれのユダヤ人物理学者のアインシュタインさんが相対性理論を発見して、百年目にあたる年だったそうです。アインシュタインさんは1922年(大正11)に来日して、西本願寺にもこられました。アインシュタインさんは仏教に興味を持っておられました。そのため日本の仏教を知りたいと、学僧であった近角常観(ちかずみじょうかん)師にお会いになり、話を聞かれました。
アインシュタインさんが「仏さまとは、どんな方ですか」とたずねると、近角師はいきなり「姥(うば)捨て山」の伝説の話をされたといいます。息子が母親を背負って山へ、そのとき母親は木の枝を折っている。
息子は母親が家に戻る目印だろうと思っていたのですが、帰り道で迷い、その折れた枝を頼りに家に帰りつきます。そして、ふと息子はその母ごころに気づき、あわてて母親を山から連れ戻した――この話を近角師は切々とされ、アインシュタインさんは深い感動と共に、涙ぐまれたそうです。
自分を捨てるわが子を捨てきれない母ごころ、それが仏さまのお慈悲です。仏さまに背を向けているにもかかわらず、慈しみのこころを持って、私たちを救わずにはおれないとはたらき続けておられる、それが仏さま、阿弥陀さまなのです。
龍Ronが聞く「仏教に学ぶ」
アインシュタインがなぜ仏教を?
アインシュタインが宗教、中でも仏教に興味を持っていたことは、何冊かの著書に示されています。
そのいくつかの言葉を紹介すると、「宗教なき科学は欠陥であり、科学なき宗教は盲目である」「生きる意味はなにか、その質問に答えるのが宗教である」「仏教は近代科学と両立可能な唯一の宗教である」「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教である」
龍谷大学では仏教系大学で初の理工学部が、1989年(平成元)に誕生しました。当時、瀬田キャンパスにおられた多くの理工学部の先生がたが仏教に興味をもたれ、創立350周年の記念シンポジウムでも、「科学者と宗教」というテーマで、現代科学と仏教は、まったく矛盾しないことが明らかにされたと聞いています。
2016(平成28)年3月25日発行