校友から学ぶ 93号

校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第93号 コロナ騒動から学ぶ仏教

2021年9月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです

佐藤第二病院院長(大分県宇佐市)
田畑 正久

田畑 正久(たばたまさひさ) 49年大分県生まれ。医学博士。73年九州大学医学部卒業後、外科の道に進む。国立中津病院外科医長、東国東広域国保総合病院外科部長。その後、院長を10年間勤め勇退。日本外科学会専門医、指導医を歴任。現在、佐藤第二病院院長(大分県宇佐市)。
04年飯田女子短期大学客員教授を経て、09年より龍谷大学大学院実践真宗学研究科教授(19年3月まで)。大分大学非常勤講師として「医療と仏教の協力関係」構築に取り組んでいる。
また、「歎異抄に聞く会」のホームページを開設し、これまでの論文や講演録を掲載するとともに、寄せられた質問にも対応している。

田畑 正久さん

 コロナ禍によって身近に迫ってきた「死」をどのように受け止めていけばいいのか、という問題があるかと思います。治療が必要な病気に対する対応は、医療者にお任せするしかありません。一方で、仏教は「人間を丸ごと救う」と言います。

佐藤第二病院(ホームページより)
佐藤第二病院(ホームページより)
生死を超える

 「死」をどのように考えていくのか、これは仏教二千五百年の歴史の大きな課題であり、仏教はそれを「生死を超える道」として教えてくれています。「生死を超えるとはどういうことなのか」を知ることが、私たちが仏教の智慧に学ぶことの要点ではないかと思います。
 私たち人間には「死にたくない」という願望があるために、深刻な苦悩を繰り返さずにはいられないのです。人間に「死にたくない」という願望があるのは、多くの因縁が仮に和合して無我としての「生きる身」の内部に自我意識の「思いの我」があるからです。「思いの我」はいつしか「生と死を合わせ持つ肉体」を自己として管理支配するようになっています。医療はまさしくこの「生きる身」の肉体を対象としているのです。「生きる身」は因縁和合(無量寿に生かされている)して無我として今、生きている、生まれる前も死んだ後も因縁和合した存在であると言えるでしょう。「思いの我」は「我」があると思い、その「我」がなくなるのを恐れ「死にたくない」という願望になったのです。しかし、「生きる身」は「思いの我」が気付く、気づかないに関係なく無量寿に生かされ支えられているのです。したがってこの「死にたくない」の願望は、「死なないものこそ自己である」という宗教的覚醒を求めている無意識の叫びと言えるのではないでしょうか。

「死にたくない」「長生きしたい」の背後にあるもの

 お念仏の中に無量寿・無量光があります。無量寿とは寿(ことぶき)が無量ということで、永遠という意味でもあります。歎異抄第一条に「念仏申さんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」とあります。「今ここで無量寿の世界に出遇うということがあるならば、その一瞬に本当に出会うべき世界に出会えたと言って、量的な長さではなく質的な永遠という世界に出遇うことができる」ということです。
 今まで量的な長生きを追い求めていたものが、「質的長生き」という世界があることを仏教の学びの中で知らされる時、私たちが本当に願うべきものは質的長寿ということに気付くでしょう。それは、命の長さに囚われず、一日一日を大事にする生き方に導かれることでしょう。

龍谷大学最終講義
龍谷大学最終講義
分別思考から無分別智へ

 私たちの思考は、私が生まれてきたことは当たり前のこととして、その上で「思慮分別でしっかり考え、自分にとってのプラス要因を増やし、マイナス要因を少なくしていけば、きっと幸せな人生になる」と考えて一生懸命頑張ってきました。
 分別思考では、私と周りを切り離して別々に無関係に存在していると見ますので、私の周りの都合が良いものは喜んで受け取ることができますが、病とか老いるといったマイナス要因はなかなか受け取ることができません。このマイナス要因をどのように受け取るかということが、私たちの仏教の学びにおける非常に大事な点になります。
 仏教では分別ではなく無分別、私の身と環境は「一体の関係」(身土不二)と見ます。多くの因と縁によって生かされている(縁起の法)と受け止め、私の身と環境を「一体」として見ることで、今まで見えていなかった世界が見えてくるという無分別智の世界での受け止めに導かれるのです。「このコロナ騒動は私に何を気付かせようとしているのか、目覚めさせようとしているのか、教えようとしているのか」という受け止め方が、仏教の本当の智慧です。現実に直面する時、分別せず仏の智慧で見るのです。コロナ騒動を通して感じる不安、そのことをご縁として仏教の学びを深めていくことができると思わせていただいています。

7月14日に『歎異抄に聞く会』は 400回を迎えました。
7月14日に『歎異抄に聞く会』は 400回を迎えました。

2021(令和3)年9月30日発行