校友から学ぶ 100号

校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第100号 「一期一会」と「日々新たに」

2025年3月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです

臨済宗建仁寺派 
大椿山六道珍皇寺ご住職
坂井田 良宏

46年京都府生まれ。70年龍谷大学経済学部卒業。卒業後、専門道場にて修業の後、25年間宇治市役所に奉職しながら73年に建仁寺塔頭、興雲庵住職に就任、96年より大本山建仁寺法務部長、財務部長を歴任し、01年から同、六道珍皇寺住職に転任。13年には臨済宗建仁寺派宗務総長に就任するとともに開山栄西禅師800年大遠諱の遠諱局長などを務め、現在は自坊の護持のほか建仁寺派の宗会議員や建仁寺の評議員などの要職にある。

校友から学ぶ 100号 坂井田 良宏

六道珍皇寺の歴史
六道珍皇寺は山号を大椿山と号し、臨済宗建仁寺派に属する寺院です。
今から千二百年前、平安朝・桓武天皇・延暦年間、慶俊僧都の開基で、宝皇寺、鳥辺寺、または愛宕寺とも称せられていました。
その後平安遷都に際し、愛宕の地が諸人の墓所と定められたことに伴い、空海の師慶俊が珍皇寺を建てたといわれ、ついで空海が興隆して東寺の末寺となり、小野篁が檀越となって堂塔伽藍が整備されました。
永久年間(1113〜1118)に一旦焼失した後、再び伽藍整備も行われましたが、中世の兵乱により荒廃し、建仁寺の僧であった聞渓良聡が再興、臨済宗建仁寺派に属する寺となりました。
本尊の薬師如来坐像は最澄作と伝わる重要文化財ですが、去る22年の文化庁調査をうけて、24年の4月には130年ぶりの大修復作業も無事終えられました。
時まさに、当寺の開基「佛海慈濟禅師」の650年遠諱の年となったことは、祖師のお導きと感慨無量でありました。
ところで、この辺りですが平安時代の墓所として名高い鳥辺野の麓で入り口にあたったことより、「六道の辻」(冥界との接点)とも信じられてきました。
「六道」とは、すべての人が生前における善悪の行いにより必ず赴くとされる「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」の六種の冥界をいいます。
当寺が、前述の通り「六道の辻」に位置し、さらには小野篁伝説(当寺の井戸より閻魔王の臣下として現世と冥界を往還していた)とあいまってお盆には信仰の聖地となっているのは、こうした背景があるからです。

「六道まいり」という行事
京都では、お盆にお迎えする先祖の魂を「お精霊さん」と親しみを込めてよびます。そのお精霊さんにお盆に各家にお帰りいただくため、あの世とこの世の境(六道の辻)とされる当寺にお迎えに詣でる行事を「六道まいり」と申します。
千年の歴史を有する京の都人の生活に根ざした宗派を超えた仏教共通行事といえます。現在では盆前の8月7〜10日の4日間、早朝より夕刻まで大勢の参詣のお方で賑わいます。
参詣の仕方は、まず境内参道で高野槇を求められ、本堂にてお迎えされる精霊の戒名を水塔婆に書いてもらい、「古事談」や「今昔物語集」の伝説にある「その音がはるか彼方の唐の国まで、いんいんと鳴り響いた」とされる『迎え鐘』をつかれ、水塔婆への水むけ供養の後、参道で贖われたみ魂の宿られた高野槇を携え帰路につかれることとなります。
そのお精霊さんは、懐かしき我が家への里帰りとなるわけですが、お盆の間は各家では十分に満腹してお帰りいただけるよう日毎に決まった京風精進献立のご馳走などをもってもてなすといった、誠にうるわしいこうした慣習が今日まで恙なく京には伝承されているのです。

二足のわらじとご縁
私自身は卒業後に教職をめざす関係上、在学中に休学して禅僧への関門ともいえる専門道場に掛搭し、卒業後に再度、再掛搭の後にその道を目指しましたが、僧侶との両立は立場的にも難しく、結果的には諦めざるをえませんでした。その後、ご縁があり公務員の職に就くこととなりましたが、在職25年頃に師匠の体調不良もあって奉職を退き、公言はできませんが僧職との二足のわらじ生活にピリオドをうちました。奉職中は有難くも望んでいた教育・福祉・茶業関係の職場に携わらせていただき、私の人生において大きな一こまとなりました。
その後は、自坊の住職とご本山の内局務めの、ある意味二足わらじの日々となり、2014年には、建仁寺開山栄西禅師800年大遠諱との巡り逢いもございました。その折には、はからずも宗務総長と遠諱局長という大役を仰せつかり、浄財募縁に奔走もしましたが、お陰様にて茶祖とも称される栄西禅師さまのお導きか、役所勤めで出会った多くの茶業関係各位より絶大なご支援も賜ることができ、まさに〝一期一会〟、人さまとの出会いがいかに大切なものか改めて思い知りました。

「一期一会」と「日々新たに」
この世に生をうけたからには、お釈迦様のおっしゃる通り、誰もが悩み苦しみを抱えているものです。仏様やご先祖様に手を合わせ「祈る」行為、あるいは坐禅を組み、心を空っぽの状態「無心」にして、自分を客観的に見ることで悩みの本質が見えてくることもありますが、やはりいろいろな人生を歩まれている人たちに相談し、その意見や考えを参考にすることも、悩み苦しみ解決の糸口につながるものです。
そこで、龍谷大学校友会の場ですが、まさに人生の先達たちの意見を聞くにも適した貴重な場といえます。また様々な仕事、立場、環境の異なった人たちの集まりでもありますから、物事への視点や考え方も違うでしょうし、苦境に立たされた時などの心の持ち方を学ぶにも最適の場だと思います。

〝一期一会〟、その時々の出会いは、必ずや皆様の人生をかけがえのないものにしてくれるものと思います。
私事にて恐縮ながら、7年ほど前、ある企業が創業100周年を迎えられ、その起業地が当寺隣接地であったご縁もあって、ここ数年新入社員の研修をさせていただく機会を得、その社名の語源でもある「日々新たに」というテーマにて毎回お話をさせていただいております。
一期一会とも繫がるのですが、毎日心を新たにすることで自身も日々生まれ変わり、悩み苦しみも癒えて新たな考えや出会いも生まれるものです。日々の精進も新たな気持ちで続けることが出来ると思います。人との出会いを大切にしつつ、清々しい気持ちで一生に一度しか出会えないその日々を大切に迎え、懸命に生きたいものであります。

校友から学ぶ 100号 山門-六道の辻

山門・六道の辻

2025(令和7)年3月15日発行