校友から学ぶ 103号

校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第103号 「〈弱さ〉がつむぐコミュニケーション」

2026年度「第1回龍谷大学心の講座」 2026年4月18日(土)開催より

2026年9月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです

龍谷大学心理学部教授
野呂 靖

龍谷大学大学院文学研究科博士課程修了、文学博士。専門は仏教学。
龍谷大学ボランティア・NPO 活動センター長。認定NPO法人京都自死・自殺相談センター理事。
著書に『はじめて出遇う仏典のことば』(本願寺出版社)、
『東アジア仏教思想史の構築』(共編著、法藏館)、
『高山寺本 明恵上人 夢記 訳注(共編著、 勉誠社)など多数。

仏教に学ぶ 野呂先生

弱さはつながりの入口
私たちは日々の暮らしのなかで、思うようにいかない自分や、心の重さに押しつぶされそうになる瞬間を抱えています。一般には「弱さ」は否定すべきものと捉えられがちですが、仏教の視点から見れば弱さこそが他者とつながり、支え合いながら生きるための大切な契機となります。

居場所をつくるということ
私は仏教思想の研究と並行して、死にたい気持ちを抱える方々や大切な人を自死で亡くされた方の相談活動に携わってきました。年間四千件に及ぶ相談は、社会の中で孤立し、誰にも言えない苦しみを抱える人々の声です。
その活動の根底にあるのが「居場所をつくる」という考え方です。同じ社会を生きる仲間として向き合い、安心して悩むことのできる居場所こそ、生きている意味がないと感じる人にもう少しだけ前を向いて歩む力を与えるものだと思います。救う側、救われる側という上下関係ではなく、苦悩を抱えた仲間同士として、「弱さ」や「思い通りにいかなさ」に向き合うという姿勢が大切です。

「死」をタブー視しないまなざし
近年、自殺をめぐる世界の見方は大きく変化しています。かつては「個人の選択」とされてきた自死は、現在では「追い詰められた末の死」と捉えられ、WHO も「自殺をタブー視することは逆効果である」と明言しています。日本でも二〇〇〇年代以降、自殺対策は「個人の問題」から「社会の問題」へと転換しました。
興味深い研究報告があります。アメリカ・ゴールデンゲートブリッジで自死を試みる人々を調査した精神科医の報告によれば、彼らは身につけているものを次々と捨て、身軽になっていく一方で、最後まで手放さないものがあるといいます。それは「携帯電話」だというのです。すべてを捨てようとする状況にあっても、誰かとのつながりこそが最後まで求めているものだと思います。逆にいえば、人を支える最後のはたらきとは「つながり」なのです。

仏教が示す「自立」
自立という言葉があります。一般には「他者に頼らず一人で生きること」を指します。しかし仏教が説く自立とは、むしろ「関係の中で立つこと」です。私たちは多くの支えに生かされ、他者との関わりの中で生きている。これを自立というのです。
情報科学を専門とする研究者が考案した「弱いロボット」をご存知でしょうか。ゴミ箱型のロボットで、センサーでゴミを見つけて近づくものの、吸い込み口がないため自力では拾えないというロボットです。ゴミの前で止まり、ライトを光らせて「ここにゴミがあります」と知らせるだけ。拾うのは周囲の人間です。その先生はこれを「弱いロボット」と呼びます。強いロボットがすべてを自力で完結させるのに対し、弱いロボットは人の助けがなければ機能しません。しかしその〝弱さ〟ゆえに、人が自然と手を差し伸べ、ロボットとの間に豊かなコミュニケーションが生まれます。弱さは欠点ではなく、他者と共に行動し、関係を育む契機となる― 弱いロボットはそのことを象徴的に示しています。

「あなたにいてほしい」という呼び声
ある時、私たちの事務所に一人の青年が相談に訪れました。仕事を失い、「自分が生きていても意味がない」と絶望していましたが、事務所にいるボランティアたちと作業をするなかで、「あなたがいてくれて助かった」「ありがとう」と
口々に声をかけられたことをきっかけに、もう少しだけ生きる方向に心が向いたという出来事がありました。彼をとりまく状況や境遇は何も変わりませんが、「誰かに必要とされている」という実感、ここにいてよいという居場所を感じることが、実は大きな意味をもつことを感じました。

本願の大地に立つ― 弱さを抱えて生きる安心
親鸞聖人は『教行信証』後序で、阿弥陀仏のはたらきを「本願の大地」と表現しています。人生でつまずいたとき、弱音を吐くときであっても、変わらずその大地は私たちを根底から支えています。明るさ、元気さ、強さを求めすぎる社会では、生きづらさを抱える人は居場所を失ってしまいます。互いの弱さや苦悩を前提に支え合い、大きな仏さまの支えを感じながら生きる社会こそ、本当の意味で豊かな社会であると思います。弱さを通じて誰かとつながること― そこに、仏教が示すコミュニケーションのすばらしさがあるのではないでしょうか。

2026(令和8)年9月30日発行