校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第74号 龍大卒業生に息づく建学の精神のDNA
2012年3月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです
浄土真宗本願寺派 光善寺住職
松山 善昭
松山善昭(まつやま・ぜんしょう)=27年(昭和2)生まれ。
48年(昭和23)文学部真宗学科卒業。指導教授は実父の吉田哲哉さんと同期の桐溪順忍教授(21年本科卒)。卒業後宮城県立第二工業高校や仙台女子高校の定時制教員をつとめながら、東北大学大学院の東北文化研究室で約10年間、東北地方への真宗の伝播を研究。本願寺派東北教区教務所長、仙台別院輪番を歴任し、教誨師歴は56年に及ぶ。
震災被害の中で
このたびの大震災で福島県の太平洋沿岸の地域は大きな被害を受けました。相馬市、南相馬市、飯舘村、双葉郡の双葉町、浪江町、大熊町、富岡町で構成される「相馬組」という本願寺派(西本願寺)の地域ブロックがあります。この相馬組には10ヶ寺あり、被害が少なかったのは3ヶ寺のみでした。とくに海岸沿いの原釜、松川浦、岩ノ子、磯部地区一帯の津波被害は夥しく、町はまことに無残な姿に化しました。
津波だけではありません。浪江町の正西寺(真宗大谷派)で住職をつとめる私の次男(小丸真司さん)は、家族と共に放射能汚染で着の身着のまま避難所に移りました。三男(細川雅美さん=81年文卒=旧姓・松山)が住職の宮城県石巻市門脇町の称法寺では、周辺の家屋がことごとく流され、本堂などの屋根と枠組みだけが、かろうじて瓦礫の中にポツンと建っているという状況です。三男は地元に一人残り、復興に立ち向かっています。
こうした中、いち早く西本願寺や龍谷大学のOBが動いて下さいました。地震発生直後に西本願寺では緊急災害対策本部を立ち上げ、3月17日には本願寺の仙台別院に東北教区災害ボランティアセンターを設置して、さまざまな支援活動を始めていただきました。石巻市の三男の家族を車で安全な地に移送して下さったのも、同センターの方々でした。
また、4月8日には本願寺派宗務総長で龍谷大学理事長の橘正信さん(70年文院卒)が、7月9日は相馬組の大震災総追悼法要では、大谷光真ご門主がお越しになり、励ましのご法話をして下さいました。本当にありがたいことです。
今、相馬組の組長をしている長男(松山善之さん)は、津波と原発事故により、住職やご門徒さんが散りじりばらばらになり、相馬組はこれからも存続できるだろうかと、心を痛めています。
北陸門徒が相馬へ
ところで相馬は、東北では珍しく浄土真宗のお寺が多い地域です。その理由は天明年間(1781~88)に関東や東北を襲った近世最大の飢饉でした。冷害によって10万人をこえる餓死者が出たと言われ、人口激減の相馬藩は移民政策をとり、北陸から真宗門徒や僧侶を呼び寄せます。真宗門徒は結束力が強く、決して新生児を間引きしなかったからだと考えられます。
文化10年(1813)から約30年間で9千人もの北陸門徒が、相馬藩に移住したと言われます。ですから現在の相馬・南相馬・双葉のご門徒さんは、私たちの先祖は今から200年前に北陸からやってきたという共通認識のもと、私たちには、お念仏をよろこぶ北陸門徒のDNAがあるのだという思いが強くあります。母校で言えば、建学の精神というDNAです。「龍谷大学の人たちは、本当につながりが強いね」と、長男が話してくれました。長男は東京のある大学を出ています。
龍谷大学の学生さんたちも、ボランティアバスで京都から駆けつけ、三男がいる石巻の称法寺周辺の瓦礫撤去などの支援活動をしてくれています。昨年の12月初旬で、すでに5回もバスで学生さんたちがきて下さったと聞いています。
今、「共生」こそ
今回の大震災を評してある著名な方が「災害にあったのは天罰」と言ってひんしゅくをかいました。この世での一切の事柄は、網の目のように張りめぐらされた因(原因)と縁(条件)によって起きると、仏教は説きます。この世は流転無常の世界です。あらゆる物事は人間の思い通りにはいかないと捉えるのが、仏教の基本です。
「倶会一処(ぐえいっしょ)」という言葉が、「阿弥陀経」に出てまいります。倶(とも)にひと処に会うという意味です。「ひと処」とは仏国土です。息子たちは今、お寺こそが「地域の灯台」となって、散り散りばらばらになった人々が、以前のように共に集いあえる場所にしたいと話しています。
近年、龍谷大学では建学の精神を「共生(ともいき)」という言葉で表していると聞きました。遠い東北の地で、多くの龍大関係者の皆さんが、必死になって被災地を支援して下さっている。「共生(ともいき)」ですね。私は今回の大震災の被災地に住む一人の校友として、これほど龍谷大学の建学の精神を頼もしく思えたことはありませんでした。北陸の念仏者をルーツとする相馬のご門徒さんがたと同じように、私たち卒業生も龍谷大学の「建学の精神」というDNAを、等しく共有しているのだと、このたびの震災を通して再確認させていただきました。
2012年(平成24)3月10日発行