校友から学ぶ 76号

校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第76号 日本人を支え続けた「和」の精神

聖徳宗総本山 法隆寺管長
大野 玄妙

大野玄妙(おおの・げんみょう)=1947年(昭和22)、大阪生まれ。
上宮高校を経て70年(昭和45)龍谷大学文学部仏教学科卒業。72年に同大学院修士課程修了。77年に福生院住職、82年に聖徳宗庶務部長、法隆寺執事長を経て99年から現職。主な著書に『新版古寺巡礼 奈良 法隆寺』(立松和平氏と共著。淡交社)など。

私はいわゆる”団塊の世代”です。当時の大学生は、とにかく元気がありました。大学院の修了式は、学園紛争のあおりをうけ中止でした。学部と大学院の指導教授は、武邑(たけむら)尚邦先生で、私の研究テーマは『勝鬘経(しょうまんぎょう)』と、その注釈書である聖徳太子の『勝鬘経義疏(ぎしょ)』でした。
指導教授は武邑先生でしたが、同じ仏教学の光川豊藝先生や武内紹晃先生、土橋秀高先生のゼミや講義にも、ひんぱんに顔を出していました。キャンパスでキャッチボールをしていたときでした。通りかかった芳村修基先生がいきなり上着を脱ぎ、「僕も入れてくれ」と(笑)。みんながひとつの家族のようなつながりの中で勉強させてもらったのが、何よりの思い出です。

磯長御廟と「廟窟偈」

法隆寺には、いわゆる檀家さんはいらっしゃいません。私どものお寺を支えて下さる信者さんは、浄土真宗とか真言宗とか、めいめい家の宗旨をお持ちです。ある信者さんが私に、「日域大乗相応地(にちいきだいじょうそうおうのち)という言葉を耳にしたが、これはいったいどこに出てくるのでしょうか」という質問を受けたことがありました。
いろいろと調べてみると、親鸞聖人の「廟窟偈(びょうくつげ)」と深く関わる言葉だということがわかりました。日本の地域は大乗仏教が栄えるのにふさわしい地であるという意味です。
「大乗」とは、字のごとく大きな乗り物です。「大乗仏教」と申します。よりすぐられた少数の人ではなく、ありとあらゆるものを仏教の究極の覚(さと)りの世界へと導いて下さるという教えです。
「廟窟偈」とは、親鸞聖人が19歳のとき、聖徳太子が葬られているお墓・磯長御廟(しながごびょう)(叡福寺=大阪府南河内郡太子町)で3日間、参籠(さんろう)されたとき、夢の中に聖徳太子が現われ、「あなたの命が終わるとき、すみやかに清らかな浄土に往生することができるであろう」と、この「廟窟偈」と呼ばれる一連の偈文(げもん)(漢文のうた)を、お告げになったと言います。
親鸞聖人は聖徳太子を、日本に大乗仏教をもたらした「和国の教主(きょうしゅ)」として多くの和讃(わさん)を著わし、生涯、尊敬されました。弘法大師や伝教大師をはじめ、平安・鎌倉時代の祖師がたもそうでした。だからこそ聖徳太子は、今日にまでつながる日本のターニングポイントを作られたかただと、私は考えています。

法隆寺金堂「釈迦三尊像」=像の光背には「尺寸王身」像とあり、同じ身丈の聖徳太子をモデルとした釈迦像で、太子の病気平癒を願い造りはじめられ、太子薨去の翌年、この像は623年に完成したと記されている(国宝)
「十七条憲法」を制定

大陸の先進文化を伴った仏教が、6世紀末から7世紀にかけての受容派と排仏派の対立を乗り越え、わが国に導入されました。その”主役”であったのが推古天皇と、この女帝の摂政であった聖徳太子でした。太子はいち早く遣隋使を大陸に派遣して先進文化を取り入れると共に、身分の違いを超えた人材登用を目指す「冠位十二階」や、仏教を基礎とした国づくりを進める「十七条憲法」を制定されます。「和をもって貴しとなす」という有名な文言が、この憲法の第一条に登場します。
「和」というのは、中国の言葉、いわゆる外国語です。「広辞苑」には「過不足なく、よろしきにかなうこと。おだやかなこと。仲よくすること…」と、多くの意味が紹介されています。また、「なごむ」「やわらぐ」「あまなう」とも表現します。
聖徳太子のこの「和」という言葉が、その後の日本人の精神文化に多大な影響を与えてきました。つまり、今日に至るまで日本人の国民性、精神性は聖徳太子の「和」の精神に、そのルーツを求めることができるのではないかと、私は思います。
太子が大陸から仏教を導入されましたが、かと言ってそれ以前からの神や祖先に対する信仰を、一切否定されたわけではありません。仏も神も、共に尊ぶ精神を基礎に、「和」の文化が形成されていったのです。

本坊中庭

11年3月11日、あの悲惨な大震災が東北を中心に襲いかかりました。人々は物品を略奪するどころか、互いに助け合いながら被災生活を送る姿が映像となって駆け巡り、世界中の人々に大きな感動を与えました。
こうした日本人の行動の背景に、聖徳太子の「和」の精神をうかがうことができるでしょう。  太子の「和」の教えが、その後も営々と多くの人々によって受け継がれ、日本人の国民性が形成されていったのではないかと、私はそのように自負しています。

2013年(平成25)3月20日発行