校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第78号 苦しみや悲しみをみんなで分かちあう世界
2014年3月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです
真言宗御室派管長 総本山仁和寺第50世門跡
立部 祐道
立部祐道(たてべ・ゆうどう)40年(昭和15)広島県尾道市生まれ。
中学2年で大阪府河内長野市の延命寺に入寺。64年(昭和39)に文学部史学科を卒業。98年(平成10)から真言宗御室派の総務部長と宗務総長を1期4年ずつつとめ、13年6月、同派の総本山・仁和寺の第50世門跡と真言宗御室派管長に就任。自坊は福岡県宗像市の別格本山・鎮国寺。校友会京都市支部支部長。
多忙な龍大時代
高校時代は大阪府河内長野市の延命寺に入りました。お寺でお坊さんの修行をしながら大阪府立の河南高校に通い、お葬式などがあるときは午前中で早退です。卒業後、1年間、真言宗の修行(加行(けぎょう))をし、修行が完成する伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を終え、龍谷大学で学びました。
1、2 回生のときは、ご縁のあった壬生寺(みぶでら)(京都市中京区の律宗大本山)に下宿をさせていただきました。午前中の講義を終えて壬生寺に戻り法務を手伝うという、忙しい学生学生時代でした。入学したのは仏教学科でしたが、3回生のときに史学科に編入し、指導教授は二葉憲香(けんこう)先生(のちに11代学長)で、卒論のテーマは「大正デモクラシー」でした。
学生時代”社研”(社会科学研究会)に所属し、マルクス思想なども勉強しましたね。当時は「60年安保」の時代で、私たちは円山公園で集会を開き、そのあとフランス式デモで四条河原町へ行ったのを思い出します。
3回生からは、延命寺に帰り、登校時は自転車で三日市町駅へ、さらに電車で難波駅、地下鉄で大阪梅田、そしてJRで京都に出て、徒歩で大宮か、市電で深草まで往復5時間でした。
「即身成仏」の教え
真言宗の教えは「密教」と呼ばれます。密教には天台宗の「台密」、真言宗の「東密」のふたつがあります。延暦23年(804年)、第16次遣唐船が難波津(なにはづ)(大阪港)を出て瀬戸内海経由で博多、そして平戸から中国へ向かいます。当時は4艘体制で、その第1艘に空海(弘法大師)、第2艘に最澄(伝教大師)が乗船されていました。しかし、第1艘は嵐で航路を外れ、福州(現・福建省)に漂着したものの、海賊船だと疑われなかなか上陸許可がおりません。そこで空海は遣唐大使にかわって福州の長官に嘆願書を書き、提出して許可されます。その見事な書が「性霊集」に残されています。
このように入唐されたお二人ですが、最澄は帰国後、比叡山で天台宗をうち立てます。空海は福州から長安(現・西安)の都に赴き、青龍寺(しょうりゅうじ) の恵果(けいか)和尚に師事し、真言密教を伝授されます。これが、今日につながる真言宗の教えのルーツです。
真言密教は、言葉で表現できない難解な教えです。簡単に言うなら「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」です。「身口意(しんくい)の三密」と申しますが、身体(からだ)は仏様のようにふるまい、口で仏様の徳を讃える真言を称え、心(意)は仏様のことを臆念するという修法を通して、この身にこのまま仏様になるという教えです。お釈迦様は釈迦族の王子でした。その人間であるお釈迦様が「仏(ぶつ)」になられた。これが「即身成仏」というものです。
「満足」するとは
真言密教の教えは、非常に哲学的な要素が含まれていて、たやすく説明することはできません。そこで私たちは平易な話題を用いて、仏様の世界を説くように心がけています。
たとえば弘法大師の八十八ヶ所霊場が四国にありますね。歩いて巡礼すると足が疲れますが、さまざまな観光もでき、おいしいものをいただけます。つまり「顔」だけが喜んでいます。苦しい思いをしたのは、「足」なんですね。だからお風呂に入って足をさすっていたわり、寝るときは布団の中に入れてあげて、今日一日ありがとうございましたと足に感謝する。そうすると足が喜びに満ちあふれてくれる。これが「満足」なんです。
今、霊場巡りは観光バスでという人が増えましたが、やはり足で歩いていただきたい。足で歩くから健康になり、観光に、そのまま信仰につながっていきます。「観光・健康・信仰」がひとつになるのです。
倒れない五重塔
仁和寺は光孝天皇の勅願によって建立されたお寺です。高齢で天皇になられたので、仁和二年(886年)に着工されましたが、光孝天皇は完成を見ないまま、翌年に崩御されます。そのあと宇多天皇が先帝の遺志をひき継がれ、仁和4年(888年)に竣工。宇多天皇が初代の門跡となられます。そして、寺号も元号から「仁和寺」と名付けられました。
また、仁和寺に五重塔(重文)がそびえています。この五重塔の柱は、土中に埋まってはいません。ただ石の上に乗っているだけです。にもかかわらず、地震や大風で倒れません。外圧による揺れを、柱がそれぞれ力をあわせて支えあうからです。これを人生にたとえると、苦しみや悲しみを一人で受けもつのではなく、みんなで分かちあうことで負担が軽くなるという仏教的世界です。一人では耐えられなかった苦しみ悲しみをみんなで分かちあい、支えあうのだよということを、五重塔は私たちに教えてくれているのです。
4月にはぜひ、桜の花で美しく荘厳された仁和寺の五重塔の前で、このように味わっていただければと思います。
2014年(平成26)3月13日発行