校友から学ぶ 85号

校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第85号 大仏造立への願い 聖武天皇の仏教による国造り

2017年9月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです

華厳宗管長 東大寺第222世別当
狹川 普文

狹川普文(さがわ・ふもん)51年奈良県生まれ。
63年、得度。75年龍谷大学文学研究科修士課程仏教学専攻修了。75年四度加行満行。77年、修二会新入、以来2015年まで30回参籠。77年より書家・榊莫山師(墨象展主宰)に師事。90年、墨象展同人。85年より彫刻家・水島石根師に師事。2010年5月に東大寺執事長。2016年5月に華厳宗管長・第222世東大寺別当就任。東大寺塔頭北林院住職。

「修二会(しゅにえ)」の法要

毎年3月1日から14日までの2週間、「修二会」という法要を東大寺の二月堂でつとめます。一般には「お水取り」という名で知られています。
この東大寺の「修二会」「お水取り」という言葉を聞いて、みなさんがイメージされるのは、どのような映像でしょうか。おそらく夜空にあかあかと燃えたぎる松明(たいまつ)でしょう。しかし、松明はあくまで「修二会」を行ずるお坊さん(練行衆(れんぎょうしゅう))がお堂に上がっていくときの、道明かりにしか過ぎません。
「修二会」は、「悔過(けか)法要」とも言われます。「悔過」とは、自らが犯した罪や過ちを、仏さまや菩薩さまの前で懺悔(さんげ)(悔い改める)することです。
この地球で人間は、さまざまな罪や過ちを犯しています。ではいったい、その罪や過ちを悔い改めることを何によって実践するのか。大自然に対して感謝の気持ちを、いかに持ち続けることができるのか。慈しみの心で、すべてのものとつながっていくことこそ、最も重要なことと自覚する。「修二会」とは、このような目的を成就(じょうじゅ)(完成)するために、練行衆によってつとめられるのです。
そのため練行衆は自己を厳しく律し、ひたすら懺悔の苦行を続けます。この行動こそが、多くの人々の心の中に救いの輪を広げ、慈しみの心で人々をつなげていくのです。実際に平安時代、厳しい修行に打ち込む練行衆の姿に人々は大きな感銘を受け、多くの信者がこぞって二月堂に参拝し、深い信仰の輪が広がっていきました。

お松明 写真提供:植田英介
聖武天皇と大仏造立(ぞうりゅう)
『聖武天皇御影』画:小泉淳作
写真提供:東大寺

24歳で即位した聖武天皇は、光明皇后との間に一子をもうけます。しかし、その基(もとい)皇子は1年も満たない短い人生を閉じました。このとき聖武天皇は、国造りというものは、子どもたちのいのちを育むことによって、はじめて可能になるものだと認識されていたようです。さらに子どもたちのみならず、老若男女、動物も植物も、地球上のすべてのいのちを育むことによって、と。
741(天平13)年、聖武天皇は「国分寺建立の詔(みことのり)」を発し、全国各地にお寺を建てることにより、仏教にもとづく国造りを進めます。そして「大仏造立の詔」が発せられたのは743(天平15)年のことでした。
詔には、「ひと枝の草、ひとにぎりの土ほどのわずかなものでも、大仏造立に寄進してほしい」とあります。こうした聖武天皇の呼びかけに応じた、東大寺四聖(ししょう)の一人・行基(ぎょうき)(668~749)は、造立の責任者となって進め、多くの民衆の協力によって752(勝宝4)年に大仏が完成し、開眼(かいげん)法要が行われます。
東大寺大仏殿のご本尊は、盧舎那仏(るしゃなぶつ)です。聖武天皇が詔を発布された動機は、『華厳経(けごんきょう)』に説く「世界に存在するあらゆるものは、お互いに密接に関わり合っていて、お互いを支え合って存在している」こと、そして仏法のちからによって、すべてのものが栄えることを切望されたからです。
このような聖武天皇の長年の願いを具現化したのが盧舎那大仏造立だったのです。

盧舎那仏坐像 写真提供:東大寺

龍Ronが聞く「仏教に学ぶ」
東大寺の大仏さま なぜこんなに大きいの

東大寺の大仏さまは、座高が14.98m、両膝の幅は12.08mもあります。
仏教が起こったインドでは、こんなに巨大な仏像は、ほとんどありませんでした。ところが仏教が伝わっていった周辺地域、シルクロードの東西交易に沿った中央アジアなどの王侯貴族たちが、交易によって得た富をもって、巨大な仏像を造るようになりました。
中国では5世紀頃から、雲崗(うんこう)(山西省大同)や龍門(りゅうもん)(江南省洛陽)に、巨大な仏像が並ぶ石窟寺院の造営が始まりました。龍門石窟の高さ17mに及ぶ盧舎那仏は、東大寺大仏のモデルになったとも言われます。

2017(平成29)年9月30発行