校友から学ぶ 92号

校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第92号 冬の時代を生き抜く智慧

2021年3月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです

国立滋賀医科大学非常勤講師、
浄土真宗本願寺派福善寺住職(鹿児島)
長倉 伯博

長倉伯博(ながくら・のりひろ) 53年鹿児島県生まれ。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒業後、龍谷大学大学院文学研究科真宗学修了。
鹿児島市の浄土真宗本願寺派善福寺住職。その他、浄土真宗本願寺派布教使、国立南九州病院の倫理・治験委員、鹿児島刑務所教誨師の活動の他に、龍谷大学短期大学部非常勤講師を経て、現在、国立滋賀医科大学、京都光華女子大学、鹿児島女子短期大学で非常勤講師を務める。仏教伝道協会 第47回仏教伝道文化賞沼田奨励賞受賞。約30年にわたるビハーラ活動を「医療や福祉と協力しながら苦である現実と向き合い、仏教を通してその苦を乗り越え人生の意義を見出す助けとなる活動」と評される。

長倉伯博先生
梅一輪 一輪ほどの暖かさ

 松尾芭蕉の弟子、服部嵐雪の作としてご存知の方も多いでしょう。実を言うと長い間、この句を誤解していました。専門の方にしてみれば笑止千万でしょうが、次第に暖かさを増すのどかな春を詠んだものと思い込んでいました。「一輪ほどの」を「一輪ごとの」と記憶していたせいかもしれません。ところが、まだまだ続く冬の最中、一輪だけ咲いた寒梅にふと目を止めてかすかな暖かさを感じるという冬の句だったのです。
 未知のウイルスによるコロナ感染症禍で過ごしているこの一年余りを真冬にたとえるのは言い過ぎでしょうか。そして、「一輪」をどこに見出したら良いのか途方に暮れながらも、「一輪」をどこかに見出したいと願いながら日々を過ごしています。

コロナ禍の現在

 しかし、この未知のウイルスの影響下、医療や経済の問題に直面している現場の痛切な声が、私の身近からも聞こえてきます。また、感染者の数や症状の重い患者数を中心に報道されています。もちろん、減少を目指す専門家の科学的見解は大切です。一方で、国内だけでも6,000人(2月10日現在)をはるかに超えた死者のことがどうしても気になるのです。どのような最期を迎えたのか、本人や家族の思いはどうだろうか。面会の人数や時間の制限があり、付き添いも困難な状態です。総体的に減少傾向に向かっているとしても、一度往ったかけがえのない命は帰ってこないという悲しみを癒す言葉を私は持ちません。死はまさに、誰にも訪れる説明不可能な「未知」の最たるものなのです。

滋賀医科大学での講義の様子
滋賀医科大学での講義の様子
ベッドサイドで

 ビハーラの学びを通して、特に医療と仏教の協働の可能性を求め、この30年必要に応じて医療チームに参加してきました。ただ現在は、感染症対策のため病棟に伺うことが困難な状況です。
 ここで、コロナ以前に多くの患者さんからいただいた訴えのひとつを紹介します。 
 「死ぬってどういうことなの」厳しい問いです。「まだ死んだことがないからわからない。」と応じました。すると相手の方は吹き出すか悲しそうな顔をするかのどちらかです。そのうえで、「仏様の教えを心に抱いて、命を終えた方々にお会いしてきました。私はその後をついていくだけです。」
 科学と宗教の立場を両立させるには、これ以外の話し方は私にはできないのです。

龍大での学び

 あらためて振り返ると、恩師や学友から多くのことを学んでいたと今更ながら思います。
 枚挙に暇はありませんが、今、大切にしている言葉を紹介します。
 「変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受け容れる心の穏やかさと、その両者を見きわめる智慧とがそなわりますように」
 仏教ではないのですが、通じるものがあります。
 天然痘やペストを克服してきた科学と、いのちそのものを見つめる宗教とを両立させる可能性がここにあります。
 龍谷大学は、科学と宗教を対立ではなく協働する大切さを学ぶ総合大学なのです。
 私はこれからも、その思いを胸に刻み、そして「一輪」を探しながら生きていこうと考えています。

本願寺出版社(20年7月発行)
本願寺出版社(20年7月発行)

2021(令和3)年3月15日発行