校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第94号 『鬼滅の刃』に学ぶ仏教
2022年3月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです
浄土真宗本願寺派蓮生山 永明寺 住職
松﨑 智海
松﨑 智海(まつざきちかい)75年生まれ。98年文学部卒業。14年間高校教師として教壇に立つ。現在は浄土真宗本願寺派 永明寺住職として「縁が生まれてみんながワクワクする開かれたお寺」を目指し活動をしている。SNSなどでの情報発信にも力を入れており、話題性のある住職としてメディアに取り上げられる。現在ツイッターのフォロワーは3万8千人を超える。著書に『だれでもわかる ゆる仏教入門』(ナツメ社)、『「鬼滅の刃」で学ぶ はじめての仏教』(PHP研究所)がある。
『鬼滅の刃』という漫画をご存じでしょうか。週刊少年ジャンプで連載され、全23巻のコミックス累計発行部数は1億5千万部。公開された映画は興行収入が400億円を超え(日本歴代1位)空前の「鬼滅ブーム」を巻き起こしました。
この物語の舞台は大正時代。主人公・竈門炭治郎(かまどたんじろう)が家を空けたある日、家族が鬼に惨殺され、唯一生き残った妹・竈門禰豆子(ねずこ)も鬼になってしまいます。禰豆子を人間に戻す方法を求め、鬼を討伐する組織である「鬼殺隊」に入隊し、鬼の祖である鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)を倒す物語です。
ストーリーとしてはオーソドックスな週刊少年ジャンプのスタイルをとりながらも、画風は決して万人受けするものではありません。言葉もクセが強く少年漫画としてはやや過激な殺傷シーンや女性キャラの肌の露出が多い漫画です。ではなぜここまで鬼滅の刃はヒットしたのでしょうか。私はこの漫画の特徴でもある、敵方の鬼のストーリーの描き方に要因があると考えます。
この漫画の魅力「鬼」
この物語の鬼は、鬼のボスである鬼舞辻無惨からその血を分け与えられることによって鬼になります。鬼の姿や能力は様々で、それぞれが個性を持っています。それらの個性は、鬼になる前の人間だった頃に執(とら)われていたものの影響が色濃く出ます。
例えば手鬼(ておに)と呼ばれる鬼は、幼くして鬼に襲われ、兄と手をつなぐことを望みながら鬼になりました。その姿は全身から無数の手が生えている異形の姿をしています。また、かつて才能が認められない小説家だった響凱(きょうがい)という鬼は、「才能がないのだから小説などやめて趣味の鼓(つづみ)でも打っていればいい」という他人の言葉にとりつかれ、鬼になったのちは体に鼓が埋め込まれた姿をしています。
つまり、鬼になるというのは、まったく別のものになるというより、本来その人物が持っていた執着心が顕在化するといったものです。鬼の物語は、残酷で悲しくて哀れで理不尽で、どうしようもない物語です。そういった人間が生きるうえでの悲しみとそれに執われる人の姿が、鬼のストーリーとして丁寧に描かれているのです。読者はその鬼と自分を重ねることによってより物語に没入していき、それがこの漫画の魅力となっています。
「滅する」とは
仏教を開かれたお釈迦様は、執われに振り回される心の正体を煩悩と教えてくださいました。普段は善人のような顔をして隠していますが、時おり浮き上がってくる心のずっと奥にあるとても他人には言えないドス黒い感情。そんな誰しもが持つ得体の知れない恐ろしいものの正体を、仏教は煩悩であると見抜くのです。
その煩悩と向き合い、コントロールしていくことが仏教における大きなテーマです。それを一言でいうと”滅“とあらわします。仏教でいう”滅“とは消滅という意味ではなく、正しく制御していくというものです。そして、それを正しく行えるものを仏といい、そこに至るまでの道のりを仏道と呼ぶのです。
仏教を開かれたお釈迦様は私たちの世界は思うがままにはならない苦の世界であると説かれました。と同時に、それを滅して解決する道があるということも示してくださいました。私たちの人生はつらく悲しいものではあるけれども、それを解決する道が必ずある。その道を私たちに伝え導くために、仏であるお釈迦様は、人としてこの世界に生まれてきてくださったのです。根深い苦悩を解決する救いの道である仏道は、私たち人の闇を切り裂く希望の光なのです。
鬼滅の刃が鬼を滅する物語であるのであれば、仏教は煩悩を滅する物語です。片や空前のヒットを生み、片や2,500年間続く。ともに私たちの心の奥にあるものを映し出し、それを解決していく道を示しているものと言えるのではないでしょうか。
2022(令和4)年3月15日発行