校友から学ぶ 97号

校友から学ぶ-仏教について- 校友会報「仏教に学ぶ」
第97号 心・行い・人となり

2023年9月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです

華厳宗管長 第224世東大寺別当
橋村 公英

56年奈良県生まれ。62年5歳で東大寺塔頭正観院に入寺、79年大阪市立大学文学部史学科を卒業。82年、龍谷大学大学院修士課程を修了後、東大寺上院・大仏殿などで勤務。
16年、華厳宗宗務長・東大寺執事長にご就任、18年、東大寺上院院主を兼務、22年に華厳宗管長、第 224世東大寺別当に就任。

校友から学ぶ 97号

人間関係の問題や事故が起こったとき、その場で解決できる問題やそのプロセスを整理をすれば解決する問題もあります。しかしどんなに対策をしても、ルールや規則があっても、本人の心掛けがなかったら、形や姿を変え、やっぱり問題は起こります。なぜそういうことになったかと考えますと、多くは最後は心に行きつくことになります。そういうとき、やはり拠り所が欲しいわけです。交通事故や火事などは、消防法や交通規則などの拠り所があればそれで解決できますが、いくら規則があっても解決しない問題があります。その場合何を拠り所にしたらいいのか。結局それは人の心のあり方で、そこに足を置かないと対応ができないのです。「心」「行い」「人となり」がどうあるのかということを知って初めて、どういうところに拠り所を探せば良いのかを知ることができると考えています。

「心」というのは人の命の働きです。それにはからだの働きと心の働きがあります。仏教では瞑想や観想を通して、心が日頃何をしているのかを知ります。「行い」というのは、心から生まれた意図、意識に基づいてなされます。仏教では戒律の「戒」の実践や、「六波羅蜜」の「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「般若」を実践することを通して、自分の成長と、他の人への思いやりの心を育てます。「人となり」とは、「心」と「行い」が生み出す人の在り方です。規則などをベースにするのではなく、人の在り方である「心」「行い」「人となり」を通して様々な人間の活動の中での問題を、「ちょっと考えてみよう」と思います。

東大寺では鑑真和上の命日である六月六日の日に、結縁受戒といって十種類の戒めの言葉、戒を授ける儀式をします。まず初めに、人の心には禍が出入りする扉がたくさんあるということを聞いていただきます。扉の中には、簡単には開かないものや、風が吹いたらすぐ開いてしまう扉もあります。ちょっとしたきっかけや油断から禍が出入りする扉があることを知るだけでもきっと役に立ちますよという話をします。人間は山のようにそんな扉を持っていますので、それを無くしてしまうことはできません。でももし主だったものだけでも戸締まりができれば、人間関係が随分楽になると思いませんかという話から始めることにしています。

戒は自律の働きを育てる

では戒とは何か。仏教で最初に学ぶことがこの戒です。仏教徒になるときに最初に習うのが五戒、僧侶になるときに最初に学ぶことが「沙弥の十戒」です。東大寺には修二会という修行がありますが、最初にその修行中守るべき八斎戒を授かります。まずこの戒を習って、人の心や行い、言葉などに気をつけて、それを自分の意志で心懸けましょうというものです。戒に罰はありません。自分で心懸けなさい、自律的でありなさいということです。規則は「こうしなさい」というある意味依存なのですが、戒は自律の働きを育てるという力があります。

十善戒という戒があります。十の善い行いに繋がる戒と考えて下さい。「不殺生」「不偸盗」「不邪淫」「不妄語」「不両舌」「不悪口」「不綺語」「不貪欲」「不瞋恚」「不邪見」という十の戒です。これらには、自律的に「~をしない」という意味と、「だから~しましょう」というふたつの意味があります。たとえば不殺生という戒。私たち命のあるものは、なによりも命を失いたくないと考えます。華厳経の説明を見ると、不殺生というのは殺さないことだと書いてあります。ところが、もうちょっと説明を読んでいくと、「命あるものに対して、常に利益・慈愛の心を生ずる」と書いてあります。自分と向かい合う中では生き物を殺さない、命を傷つけないという戒を保ち、一方で命を大切にして、命のあるものに利益して慈愛の心を生ずるようなことしなさいという二重の意味があるのです。それは自分自身を見つめ向かいあう中で持つべきことと、人と他者、社会、自分の周りとの関係の中で、どういう心を持ち、どういうことをしましょうという二つの意味なのです。とても広がりのある教えであることがわかります。十善戒の他の戒についても同様のことを言うことができます。不偸盗では、盗まないと同時に分かち合いなさいという意味があります。これはボランティアの考えに繋がります。

僧侶は戒を授かったら、そのままにしないで懺悔をします。自らを省みて戒をおろそかにしたのであれば、告白して、戒を心がける気持ちを新たにするのです。仏教儀礼としては五体投地などの所作がそれにあたります。このように戒を通して、私たちは、まず人の心にどういう禍の扉があるのかを学び知り、眼の前に事が起こった時に、今がその戒にてらす時だということに気づくことができます。気づいたらどうするべきか自分で考えます。更にどのように行動するかを思い描いて実行する。この力を戒というのは育ててくれるのです。このプロセスは私たちが生きることの基本だと思います。慈雲尊者という方が、十善は「人となる道」と言われましたが、「人となりを創る道」ではないかなと私は思います。

校友から学ぶ 97号
五体投地の所作

2023(令和5)年9月30日発行