校友クローズアップ  林家 染二(本名 吉田 忠史)さん

2021年10月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです

校友クローズアップ

心をつむぐ大看板に

落語家、公益社団法人上方落語協会理事
林家 染二(本名 吉田 忠史ただし)さん

1999年度 龍谷奨励賞受賞
(1985年 法学部卒業)

林家 染二(本名 吉田 忠史ただし)さん

4年生の9月7日でしたか、当時の染二師匠の自宅を「タウンページ」で探して押しかけました。「君お金あるか」「ないです」「まずは卒業しなさい」「明日からカバンを」と、9月11日から師匠のお宅に通うようになりました。
卒業と同時に住み込みの内弟子です。朝、師匠にお茶を出してから朝食、昼食、夕食を作ります。その間、掃除や洗濯をし、仕事の付き人に稽古と、何をするのも修行です。
うちの師匠は、すごく稽古に厳しい方です。「細胞が集まる」と、よくおっしゃいます。まったくのあかの他人が「林家」の細胞となっていくのです。内弟子時代、噺家は師匠と向かい合って稽古します。弟子は座布団無しです。2、3時間経つと足がしびれて頭がボーっとして覚えられず、拷問かと思ったことがあります(笑)が、これが将来の糧になります。

当時、落語家としての登龍門がNHK新人演芸大賞でした。何回も予選で落ちました。勝てないのです。その頃、師匠からお年玉をいただいたとき、「古典だけが落語やない」というメッセージが添えられていました。そこで新作落語の若手グループに入り挑戦しましたが、どうも私にはセンスがないのですね。
やっぱり当初から目指していた古典に戻ろうと、「湯屋番」という演目でNHKに出たんです。ようやくここで優秀賞をいただきました。昔は漫才と落語がひとつの部門になっていて、大賞は漫才の「爆笑問題」でした。「同じスタートを切ったのに、出世のスピードはえらい違うよね」(笑)と妻がよく言います。
そんなことで古典を新しいテーマで仕立て直す「古典」に取り組むようになりました。「心中」をテーマにしたのをやりたくて、落語作家の小佐田定雄先生に台本を書いていただき、「幻影まぼろし 心中」で大阪文化祭賞にエントリーしました。すると思いもよらぬ「奨励賞」をいただいたのです。そこでこの賞をきっかけに、「染吉」から師匠染丸の前名「染二」を襲名させていただきました。その後、新人賞を飛び越え文化庁芸術祭優秀賞、龍谷奨励賞をいただく二重の喜びとなりました。これをご縁に校友会各支部や真宗のお寺で落語をさせていただく機会が増え、感謝しております。

我々の世界では、「着物を着るのに10年。20年でようやく噺家はなしか」と言います。10年で着物姿が板につき、20年で一人前の噺家としてのスタートなんです。そして研鑽を重ね、自分の形を見付け、60歳代から〝絶頂期〟に入ります。お金の心配をしたり、夫婦で大喧嘩、子どものことで思い悩むなど、さまざまな人生経験を通して、ようやくお客様から「ああそうやな」と共感していただける世界を演じることができるのです。
噺の主人公が大変な目に遇い、このあとどうなるんだろうと主人公と一緒になって心配したり、応援していただく。また「そんなこともあるよな」とうなずいていただく中で、「何だかんだと言っても、人間は何とかなるんだ。ああおもしろかった。おかげであとのご飯もお酒もおいしい」とよろこんでいただく――噺家とはそういう商売です。

令和3年9月に還暦を迎えました。長女が医師となり結婚し、長男(吉田知生)も野田秀樹さんの指導を受け若手俳優となり、マイホーム噺家卒業と思っていたら、娘に長男誕生。58歳年が離れた孫の口癖は「ぼくやってみる!」。教育心理学の講義で自己啓発を学んだ日々を思い出させてくれます。これからは、滑稽噺・芝居噺・人情噺の三つの落語の大きな柱に研鑽を重ね、まさに絶頂期とすべく精進して参りたいと思います。(2021年10月)

林家 染二(はやしや・そめじ)

1985年に法学部卒業。84年に現四代目染丸に入門し、芸名は染吉。93年NHK新人演芸大賞優秀賞、96年・大阪文化祭賞奨励賞。98年・文化庁芸術祭演芸部門優秀賞。99年・龍谷奨励賞。04年・上方お笑い大賞最優秀技能賞、文化庁芸術祭演芸部門優秀賞。08年・天満天神繁昌亭大賞など。株式会社SOMEJI代表。2020年に第75回文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞受賞。