2022年9月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです
浅川 和彦 さん
日本料理成田家3代目店主
卒業年:1994年、卒業学部:社会学部
所属サークル:端艇部
所属ゼミ:長上ゼミ
日本料理成田家についてはコチラから
学生時代の最大の思い出は、端艇部に入った時の合宿生活です。朝の練習・夕方の練習をするために、一年の大半を琵琶湖の最南端唐橋のすぐ横に、艇庫と呼ばれる合宿所で寝泊まりをします。
一部屋8~12人の部屋があり、二段ベッドが各自の居住スペースです。起床は午前5時、消灯は午後10時と決まっていて、部員が勉強している姿は見たことありません(笑)。本を読むといったら、せいぜい懐中電灯でマンガを読むぐらいでした。しかし、私にとってこの窮屈な合宿生活はたまらなく好きでした。
ただし、今だから言えることですが、当時はまじめに規則を守るだけではなく、先輩に誘われ京都までサーティワンアイスを買いに行ったり、こっそり抜け出して当時お付き合いをしていた相手に会いに行ったりしてましたよ。罪悪感もありましたが、ささやかな規則破りが楽しみでもありました。もちろん、それが見つかった日は・・・思い出したくないです・・・。
そんなスリルある合宿生活の中で、門限や起床時間にもっとも厳しい主将が1時間寝坊した時は見事に部員全員、主将が起きるまで寝たふりをして、主将を責めることでもなし、何事もなかったように朝練が始まったことなど、社会で生きていくための極意を学んだように思います。
練習方法で意見がぶつかり、態度が悪いなど、ケンカもすることもありましたが、同じ釜のメシを食えば、次の日は笑い話になるものです。
自分で言うのもなんですが、私のすごいところはこの合宿生活をしながら、アルバイトもし、瀬田学舎で手話サークルを立ち上げ、白山(2702m)に登頂し、ホノルルマラソンを完走するなど、とにかくその時にやれることは何でもやりました。卒業論文は学部1位の成績にもなれました。
卒業後は家業である飲食店を継ぐことになりましたが、学生時代の経験や人とのつながりは、かけがえのないものになりました。
私が27歳の時に、先代の父親を亡くしてしまうことになるのですが、持ち前のバイタリティーで何とか今日まで商売を続けることができています。
今では5年前から始めた落語で、自分の店で落語会やデイサービスセンターに行くなど、アマチュア落語家として忙しい毎日も過ごしています。
後輩たちに言えることは「思い立ったが吉日」。この言葉でしょうか。
躊躇せず何事にもチャレンジしてほしいと思います。また、そんな話をうちのお店で聞かせてくれたら、こんなうれしいことはありません。
今年で創業まる61年。大阪茨木市の日本料理成田家のカウンターに鉢巻き巻いて立っております。皆さまのご来店を心よりお待ちしています。