2023年8月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです
小川 信正 さん
卒業年:1967年、卒業学部:文学部文学科
龍谷大学校友会では、 全国の各支部をはじめ、 同期生の集い、ゼミの集い、クラブのOB・OGの集い等々、 それぞれにユニークな会合が行われています。
今回ご紹介する私たち「三八会」は、昭和38(1963)年入学の深草学舎3期生、主に文学部の卒業生の集いです。毎年6月、全国から多くの友が集い、今や後期高齢者層となりながらも40回も続いてきた稀有な団体です。前回は滋賀県で開催され、雄大な瀬田キャンパスに感動し、琵琶湖の遊覧を楽しみ、深草学舎の顕真館で「次回は島根で再会しよう」と誓いました。しかし、幹事の奮闘もコロナ禍には抗えず、2度の延期の後、島根での開催は断念となりました。3年越しの第40回は、「学び舎に帰ろう」と、京都の地で開催する運びとなりました。
去る6月13日、なつかしい仲間が学び舎の大宮本館講堂に笑顔で集まり、その数なんと56名。中には、 脳梗塞を患っても「なんとしても仲間との再会を果たすんだ」とリハビリに励み家族に支えられて和歌山から参加した人、 病気のため自身に代わって孫を参加させた東北の人、ご本人がなくなり「主人が楽しみにしていたから」とご遺族が参加くださった方、生前「俺が死んだら三八会に届けてくれ」と奥さんに金一封を託してくれた富山の人…こうした数多の熱い思いにこたえた、そこでの代表幹事の歓迎の挨拶には、三八会の趣旨と同窓の思いがよく表れていましたので、そのまま紹介させていだたきます。
「皆さんようこそお集まりくださいました。思い返せば60年前、昭和38年入学時、グリーン色の学舎、聞けば1号館から12号館は元進駐軍の兵舎、教室は急遽しつらえられた様子。便所は初めて見る洋式、扉の上下が開いている。仕方もわからないし、覗かれるのではと出るものも出ない不安感。夏は涼しくとも冬は寒い。そのような中、屋上に擬宝珠がある鐘楼をシンボルとした新しい13号館だけが異様な姿で出迎えてくれた。なつかしい思い出が次々とよみがえってくる。かけがいのない青春の思い出が、今日まで三八会として「大学にかえる」大きな礎になっているのではないでしょうか。毎年、北は北海道から南は鹿児島に至るまで、全国各地で開催されてきた三八会、年を重ね来年は80歳、年々「懐かしさ」がひとしお大きくなってきました。今回は56名の参加者を迎えることができました。ただ37名もの方が往生されており、 寂しさの中にも、元気で会えるありがたさを思わずにはおれません。「一期一会」の中、出会える喜びをかみしめながら、心から歓迎を申し上げ、良い思い出をおつくりくださることを願って、歓迎のご挨拶とさせていただきます。」
この挨拶の後、本館講堂での開会式と37名の追悼会を終え、本願寺参拝、書院、飛雲閣の拝観、そして東急ホテルに場所を移し懇親会。「京都らしさを出したい」という幹事の強い思いから、祇園甲部の舞妓さんを招いて華やかな花街文化を満喫。杯を交わすにつれて学生時代の思い出話や、高齢者の「あるある」の話題に花が咲き、最後は、三八会の仲間が作詞・作曲した「逍遥の歌」と山田耕筰の名曲「学歌」を、花の応援団元祖・元応援団のエールで高らかに歌い上げ、最高の盛り上がりの中で終宴となりました。その後も夜を徹して盛り上がっていたグループもありました。
翌日は、清水寺の重役である同窓のご縁で、清水寺に参拝し、通常は見られない秘仏と名勝の庭園を特別に鑑賞させていただきました。清水坂でお土産物を求め、その後はバスで深草学舎に向かい、新装された学友会館・今のモダンな成就館でなごやかに昼食懇談。その後、閉会式の会場・顕真館に移動すると、正門を入れば、昔の13号館はガラス張りの明るくしゃれた建物に変貌し、図書館は跡形もなく多くの学生が和やかに集う大広場になっているではありませんか。年々発展のキャンパスを目の当たりにし、学生時代の学び舎はどこに行ったのかと、ただ驚くばかりでした。
閉会式にて、来年は大宮本館を起点に奈良へ向かうことが決まり、「お互いに元気で」と再開を誓い合い、幹事やお世話になった大学関係者の皆さんのご苦労に万雷の拍手が送られ、第40回三八会は無事閉幕しました。この集いは、龍谷大学に学んだことを誇りに思い、同窓との絆を感じ、生かされていることを喜び、日々の生きる活力となっていることを再確認した、楽しく責重な2日間でありました。