2024年1月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです
藤丸 正一 さん
卒業年:1977年、卒業学部:法学部
所属ゼミ:永良ゼミ
和菓子調整處 藤丸 主人
私は現在、九州太宰府で御茶席の御菓子作りを生業としています。実家が和菓子店で親の家業や仕事を手伝いながら門前の小僧として育った世代です。
1回生から、授業がない時は四条大宮の長生堂へ手伝いに行っていました。1、2回生迄は専ら図書館で地力自活の勉強に明け暮れていましたが、3回生になり行政法の永良ゼミに入り、少数精鋭14名のゼミ生で厳しくも朗かな永良系二先生の薫陶を得、ゼミ終了後は決まって師団街道・京阪陸橋の「志ら川」で楽しく二次会。全員卒論を出した日、深草の図書館前で一升瓶を飲み廻しながら龍谷大学逍遥歌を歌った事は、懐かしい思い出です。その後、夫々に歩んだ道は異なりますが、今も遠近連絡を取り合い王子の思い出や近況を伝え合っています。
在学中に京菓子の奥深さに魅せられ、卒業後は長生堂の中村氏の指導の元で修行生活に入りましたが、家の事情により半ばで帰郷しました。しかし御師匠さんの尽力で、その後も京菓子訓練校に通わせて貰い、一級技能士と訓練指導員の資格を得る事ができました。この資格は京菓子世界への一里塚です。努力と精進があって、初めてオリジナルの菓子を世に出し、そこから職人としての資質を認められる世界でした。御師匠の中村貞雄氏、嘯月の主人後藤英雄氏、鶴屋吉信の専務稲田俊一氏、職業訓練校校長大塩正巳氏などなどの知己を得て、今日まで仕事を続ける事が出来ました。
現在は茶道の茶方、和菓子調整處『藤丸』の主人として職責を果たしているところです。
さて私の祖先は、遠く周防山口の大内氏に遡り、約600年の昔は加賀国江沼郡の一向一揆の侍大将として治めていた藤丸新介です。本願寺8世蓮如上人の御番衆も務めていましたが織田信長の北陸攻めで敗れ、その長男は得度し丸岡城下の藤丸山浄応寺として今日にあり、現当主は龍谷大学仏教学の教授をされています。また次男は後に林と姓を改め大聖寺藩に仕えて、そして私どもの一族は遠く豊後へ逃れた後柳川へと移り現在柳川西方寺の檀家として、今日に至っています。
この度令和6年4月7日に、先祖ゆかりの地、石川県加賀市山中温泉無限庵に於いて無限庵の御主人、塗師でもある前端氏との御縁と御厚意を戴き、先祖を偲び思いを馳せながら感謝を気持ちで此の花茶会を催す事に至りました。放浪の一族ですが、こうして仏縁を戴いて今日在る事に感謝しています。
最後に、母が12月1日に109歳の人生を全うし御仏の旅へと召されました。感謝感謝の一言です。お母さん有難う。合掌
令和5年12月3日 藤丸正一