寺院

浄土真宗本願寺派 教専寺

日高郡由良町阿戸244

JR紀勢本線 紀伊由良駅から2.1km

0738-65-1038 

https://www.kyosenji.jp/index.html 

10世鳳山の「教専寺由来記」によると葦浦若太夫という者が、文明年間(1469-1486)に蓮如上人より名号をいただき、永正11年(1514)得度して西願となり、実如上人より方便法身尊形をうけたのに始まる。
5世淨祐の時、寛文13年(1673)11月に寂如上人から阿弥陀如来を下賜され、寺号を天和3年(1683)に許された。
先の本堂は、元禄12年(1699)より着工し、同15 年(1702)9月に完成した。同12年に「小袖の喚鐘」と呼ばれる喚鐘も完成している。
12世速成の時、文化4年(1807)正月16日に現在の本堂が建立している。
15世智芳の時、文久4年(1864)に1月6 日と7日に、14代将軍徳川家茂公が、参与会議のある二条城に向かうために、軍艦翔鶴丸で大坂に向かう途中、当寺を本陣に休息された。その際、朝鮮人参を入れたお風呂にはいられ、蜜柑を召し上がった。その風呂桶は今に残っている。この時に葵のご紋をいただいた。蜜柑の木は「献上蜜柑」と今に残っている。この一行の中に勝海舟がいた。

[和歌山] 永原 智行 ナガハラ トモユキ
文学部 1984年卒 浅井 成海ゼミ

※親子4代にわたり龍谷大学の卒業生です。

※永原智行住職の著書 『阿闍世のすべて―悪人成仏の思想史』を2014年9月に法蔵館より刊行。
父親殺しの阿闍世が登場する仏教文献を博捜して、親鸞聖人によって悪人正機の教えが確立するまでのプロセスを考察した書物。
14代将軍徳川家茂公がつかった風呂桶
小袖の喚鐘(「形見の半鐘」伝説がある)