西願教師は高木瀬の出身で真宗の教義に帰依し当地にきて一宇を建立した。
第3世尊隆の時准如上人より寺号の御免書を賜り光徳寺と称した。
第5世宗雪正保2年(1645)12月、太子、七高僧、准如上人等の御影を寂如上人より賜り、木仏の御下附をうけた。
第8世岱樹は元文4年(1739)3月楼門を建立、延享5年(1748)には蓮如上人御影を法如上人より賜り、本堂修築等中興の実をあげた。しかし失火のため全焼したが嘉永元年(1848)本堂を再建した。当時の建築技術の偉大さが残されている。(「さがの歴史・文化お宝帳」より)
[佐賀] 永島 常見 ナガシマ ジョウケン
文学部 仏教学科 1968年卒