校友KIKOU 困難を糧として全力を尽くす

2023年1月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです

校友KIKOU 福原 隆善 師
校友KIKOU 福原 隆善 師

福原 隆善 師
浄土宗大本山 百萬遍知恩寺 法主

卒業年:1970年、卒業学部:文了 博士仏教学
所属ゼミ:佐藤哲英教授ゼミ

浄土宗大本山 百萬遍知恩寺についてはコチラから

学生時代の思い出

 百萬遍知恩寺は浄土宗、龍谷大学は浄土真宗。人生における重要なターニングポイントともいえる大学選択で、私は宗派の違う大学へ入学することを決めました。数ある選択肢の中でなぜわざわざ宗派の違う大学へ入学したのかと疑問に思われるでしょうが、浄土宗をお開きになった法然上人は浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の師であり、親鸞聖人のその教えは法然上人の教えから成っているものです。それゆえに法然上人を師と仰がれていた親鸞聖人を宗祖とする大学へ入学することは、決して今まで学んできていたことからそれることではないと考えたのです。なべて広く世を知るという目的の上では多くのことを知ることができたと感じています。龍谷大学は各地方から学生が学びに集まるので、そこで出会った方たちと懇意にさせていただき、広く交友の輪を広げることができたことは大変ありがたく感じています。

 また、龍谷大学では「学生のうちにしかできない」貴重な経験も得ました。学生時代に副手という制度がありまして、図書館の図書整理を行ったことがあります。給料までいただき、学業にいそしみながらも働く機会を得られる大学という場所は、それまでの“学校の生徒”時代とは違った“大人な世界”でした。

 入学して1年目は深草学舎、2年目からは大宮学舎へ通っていました。大宮学舎は重要文化財に指定されている建物が多く、その儼乎(げんこ)たる雰囲気のもと勉学に励むことができるのだと感心した覚えがあります。そして大宮学舎で一番驚いたことは高校時代とは違い、一層“大人な世界”を感じさせる空間だったことです。そのように私が感じた理由の一つには学生自身の意識の変化があったと思います。それまで先生から教えを受けるだけの立場であった生徒から、自ら学んでいかなければならない学生になったわれわれは、自己責任という言葉の重みを知って行動していました。知識を与えられる側である学生と教える立場である教授との縮まった差は、われわれ学生が自己責任を意識し行動する大人に近づいた証拠でもあったのです。仏教の中でも“学生(がくしょう)”という言葉があります。修行を志した人、という意味の言葉です。修行をするもしないもその人の意志であり、人に命じられて行うのでは意味がない。仏道の教えを自らの意志で学びとる学生(がくしょう)と、ある程度の自由が許されている空間に身を置き、それゆえに自己責任で学んでいく学生(がくせい)。大学という学びの場においてどうして生徒ではなく学生と呼ばれるのか、その理由と意味に合点がいった瞬間でした。

 そんな私の学生時代の思い出として色濃く覚えていることは、当時担当してくださった指導教授のことです。その当時、教授は深草学舎の施設整備などの施策について尽力されており、大変お忙しい方でした。その頃の学舎内には米軍施設があり、校舎にさまざまな制約があったのです。教授から「あの建物は制約のためまだ取り壊しができない」等の説明を受けた記憶があります。そんな多忙を極めたお立場の方でしたので指導を受けることが困難でした。ただ、学ぶ意思のある学生に対してとても熱心に面倒を見てくださる方で、忙しい中「大宮学舎から京都駅まで歩いて向かうからその間指導できる」と私を連れ立って京都駅までの約20分間指導してくださいました。また、別の機会には学生を自宅に招いてご自身で料理をふるまってくださったこともあります。忙しいながらも学生思いで温かな教授に指導を受けることができて今でも光栄に思っています。

“今”を生きる人たちに向けて

 コロナ禍に入り対面で人と接する機会が減り、オンライン上でのやり取りが急激に増加しました。目の前の人と顔を合わせ、表情を読み取り、目を見て話す。そんな今まで当たり前だと思っていたことが当たり前でなくなり、「今までどおり」ができなくなりました。このような状況下において苦境に立たされ快くないことが起きることもあると思います。

 しかし、その困難に立ち向かって得られた経験が自分にとって無駄になることがあるでしょうか。むしろその困難は自分を育てる糧になると私は考えます。困難を受け取り、自分には何ができるのかを考え、今置かれている状況で自分ができる全力を尽くす。そうすると必ずその姿を見てくれる誰かが居ます。目的をもって一所懸命に頑張っている、その真摯(しんし)な態度を他人は見るわけです。

 一所懸命に全力を尽くす、信念をもって自分を律する、それがいかに大変なことか。それをこなすことができず、一人思い悩むこともあるかと思います。ただ、一人で抱えこまなければならないと思う必要はないのです。立場が違えば見え方も違い、自分一人では思いつかなかった解決方法がそこから見いだせるかもしれません。そうした悩みを打ち明けられる今までのご縁と、率直に相談し解決策を見いだしてくれる新しいご縁、そういったものを築いていく事が大切です。どうか全力を尽くしてこれからの人生を歩んでいっていただきたいです。