校友KIKOU 京都紀行 第3弾

2023年1月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです

百萬遍知恩寺の初春の見どころ

伽藍の中心的存在である現在の御影堂は第三十九世萬霊上人によって寛文二年(1662年)に建てられたものを第四十八世知巖上人が宝暦六年(1756年)に一回り大きくして総欅造りに改めたものです。この御影堂では1月24日の昼13時から翌日25日のお昼前まで不断念佛会(ふだんねんぶつえ)が行われます。僧侶も一般の方も一緒に木魚を打ちながら念仏をし、この一晩、蝋燭だけの堂内は厳かでエキゾチックな祈りの空間となります。(※仮眠室、食事はフリーでご用意されます。)

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「御影堂(大殿)」

2月15日には毎月15日開催されている手づくり市と写経会の後に涅槃会が行われ、3月の春季彼岸会、4月8日の花まつりとさまざまな行事が行われますが、百萬遍知恩寺ならではの行事である法然上人御忌大会(ぎょきだいえ)が4月23日午後から25日午前中までの3日間執り行われます。法然上人がお亡くなりになった日に行われる法要で、百萬遍知恩寺で一番大きく重要な法要です。

もともと「御忌」という言葉は天皇や皇后の忌日法要を指していましたが、大永四年(1524年)当時の天皇である後柏原天皇より「知恩院にて法然上人の御忌を勤めよ」という「大永の御忌鳳詔」が出されました。これより法然上人の忌日法要を「御忌」と呼ぶようになりました。

法要中には、悪い因縁を断ち切るために末端を剣のように尖(とが)らせた文字で書かれた、後醍醐天皇より下賜された弘法大師御筆の利剣名号軸の複製を見ることができる他、御影堂につられている大念珠が特別に降ろされます。参拝に来られた方も繰ることができる貴重な機会ですので、ぜひご参拝ください。

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「御影堂内を一周する 円周約110m重さ350㎏の大念珠」

小噺

校友KIKOU 京都紀行 第3弾
「御廟・念字門」

「珍しい形の鳥居ですね」

御廟・念字門を見た参拝者がよく口にする言葉です。その特徴的な形状は確かに一般的に見られる鳥居と似通った点があり勘違いされてしまう方が多いですが、厳密には鳥居ではありません。

浄土宗の開祖である法然上人とその弟子である源智上人の墓石を覆う廟堂。その御廟を中心とした歴代墓地の入り口には念仏、五念門(※極楽に往生するための五つの修行のこと)等に通じる「念」の字をかたどった念字門があります。享保16年(1731年)に建立され、疫病を退けるため百萬遍(百万回)もの念佛を唱えた百萬遍知恩寺だからこその形と言えるでしょう。

そんな念字門がある墓地の片隅には明らかに墓石ではない形状の石造物があります。形状は明らかに大仏なのですが、なぜ大仏像が墓地に片隅にあるのでしょうか。

いわく、この大仏像は白河天皇にまつわる「白河大仏」の一つなのだそうです。

『平家物語』巻一には白河天皇が下記のように嘆いたという逸話があります。

「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」

賀茂河とは鴨川のことで、鴨川は反乱を繰り返す「暴れ川」として白河天皇の頭を悩ませていました。

熱心な仏教徒でもあった白河天皇が法勝寺をはじめとする多くの寺院や仏像を作らせていたことは有名ですが、そんな白河天皇が水害という天災に対しての解決策として寺院各所に大仏を作らせたのでは、とのこと。

実際に過去に水脈検査を行われた時、この百萬遍知恩寺の地下には鴨川の水脈があることが分かったそうです。

鴨川付近の神社や寺院には、水害に悩まされた白河天皇にまつわる白河大仏はいくつか存在する可能性があるのかもしれません。寺院巡りをする際に白河大仏らしきものを探してみると楽しいのではないでしょうか。そんな話に花を咲かせるわれわれの姿を大仏像は見守っていたのでした。

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「白河大仏」

百萬遍知恩寺

市バス:「百万遍」で下車、徒歩約3分

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