校友KIKOU 多感な時期を龍谷大学の教授が支えてくれた

2024年1月掲載
※所属・役職・記載内容等は掲載時期のものです

校友KIKOU 橋満 克文 さん
校友KIKOU 橋満 克文 さん

橋満 克文 さん

卒業年:1999年、卒業学部:経済学部

株式会社アールアールジェイ 代表取締役
株式会社ロックンロールジャーニー 代表取締役
株式会社TWALK 代表取締役

今もそうではあるのですが、龍谷大学に入学した当時、私は社交的なタイプではありませんでした。ゼミにもサークルにもご縁がなく、大学4年間でできた友人は片手以内で数えるほどでした。

大学1回生時は基礎ゼミというものがあったのでまだ人と会うこともあったのですが、2回生になると、僅かにできた友人はゼミにサークルにと忙しくしていて、大学では大抵一人の私は、暇を持て余していました。とはいえ、大学がつまらないという事でもありませんでした。経済学の授業も良かったのですが、計算がどうも苦手な私は、一般教養の授業の方が好きで、2回生の時はほぼ出ていたように思います。

数ある授業の中で特に面白かったのが、私の龍谷大学時代の恩師の一人、中川洋子先生(講師だったと記憶しています)の日本史Bでした。神道や歴史観を通じて当時の思想について考えていく授業はとても興味深く、もともと日本史が大好きだった私は、どんどんのめり込んでいきました。難しい言葉もたくさん出てくるので、メモを取りながら話を聞くのですが、理解が全く追いつかず、先生に度々質問をしに行きました。

そうしていると、先生は私のことを気に掛けてくださるようになり、ある日、私を喫茶店に誘って「あなたが何を悩んでいるのか聞かせて欲しい」と言ってくださりました。

僕は「友人が少ない」という悩みを相談すると、「社会に出るとわかるけど、楽しそうにしているよう見える人たちもみんなそんなものです。それが普通なんだから、悩まずに頑張りなさい」と励ますように言ってくださいました。

授業中の先生は、どちらかと言えば、授業を聞いていない学生には厳しく注意されるような印象でした。そんな先生が、優しい口調で、考えも言葉遣いも、生徒である私の目線まで下げて、強く励ましてくださりました。思えば、先生に人生相談をさせて頂いたのは中川先生が初めてで、自分にとっては衝撃的な出来事でした。その日の帰り道、「自分の人生を自分でちゃんと考えて歩まないといけないな」と勇気が湧いたことを、今でもよく覚えています。

また、今、ようやく理解できるようになったのですが、当時の私は、勝手に2つの思い込みをしていました。ひとつは、龍谷大学だけではなく周囲の皆に対して、自分から行動もせずに勝手にあきらめていたこと。もうひとつは、先生は授業をするだけだと思い込んでいたこと。人生がうまくいくように助言をくださる時があるなんて思いもしませんでした。龍谷大学に入ったことを、心から感謝しているきっかけをくださったのは、中川先生でした。先生のお陰で私の心持が徐々に変わっていきました。教授に自分から質問に行くことが楽しくなり、経済学の授業も色々と自分に合うものを選んでいけば面白さがわかるようになりました。

とはいえ、大学の異動というのは私たちが知らぬ間に行われます。大宮か瀬田に異動されたのか、それとも別の大学に行かれたのかも分からないまま、先生とはお別れを言う事もなく、今日まで来てしまいました。まず、この場をお借りして、中川先生に心より感謝を申し上げたいと思います。

それから私は、後の会社経営にも大きく影響を与えてくださった、2名の経済学部の教授に出会います。

ひとりは、地域自立の経済学(民際学)と一般教養で人権論を教えてくださった、中村尚司先生。先生は経済学専門でありながら、「心ってどこにあると思う?」という興味深い学問を教えてくださったからです。地域自立の経済学は、地域が自立し発展していくには社会をどうとらえるべきか、「循環性」「多様性」「関係性」という3つの物差しで考えていくという学問でした。「地域が自立するためには?」「コミュニティをいかに作っていくか?」「どうやってみんなで生き残っていくか?」といった話を、先生は理論立てて説明してくださいました。中でも印象的だったのは、エビの頭の話です。私たちはエビの身を食べますが、当時エビを養殖していたタイやベトナムの人たちはエビの頭やしっぽしか食べられない。欧米や日本におけるエビの消費量でも経済をとらえることが出来ると教えてくださりました。中村先生は、「この貧困の差はなんなのか?」ということを、考えるポイントとして提示してくださりました。

心はどこにあるのか、エビの消費量など、僕にとって興味深い問題提起だけではなく、先生は徹底的にフィールドワークにこだわっておられました。とにかく「現場」「現地」の考えは、「循環性」「多様性」「関係性」という3つの視点と共に、経営上課題が出たときに私の頭の中に浮かぶワードであり、この尺度で物事を考えて様々な課題に取り組んできました。会社を創業して20年、創業時からこの言葉はずっと大事にしています。私はあまり経営書を読みませんが、「地域自立の経済学」は、私の経営書だと思って今も会社に置いてあります。

実は、中村先生とは、人間的な対話はほとんどできませんでした。先生が喉頭がんを患われていたことを授業でも公言されていたので、当時の私はなんとなく声をかけづらいように思えてしまったのかもしれません。しかし、先生の授業を楽しみにしてた自分にとっては勝手に近しい存在として、今も先生の姿や声を思い出します。

そしてもうひとりは、卒業後も含めて大変お世話になった、社会経済学の松岡利道先生です。先生の励ましがなければ今の私はいないと言えるくらい、人間として向き合ってくださりました。

先生の授業は映画の話ばかり。実は映画には、マルクスやレーニンなど、ロシア・ソビエトの社会主義をテーマにした作品はたくさんあり、それと絡めて社会経済学を教えてくださいました。授業は授業としてしっかり講義してくださったのですが、私にとって、先生は常に柔和な方でした。仏教学の授業で「柔和は仏教の解脱の条件」みたいな話を聞いていたこともありまして、なんだか親近感を抱くようになりました。

私はゼミに入っておらず、時間は膨大にあったので、松岡先生のオススメの映画をたくさん観るようになりました。授業に映画の物語をいれてくださり、先生の著書『ローザ・ルクセンブルク』についてもとても面白く語ってくださりました。「自分の一番嫌な敵にこそ、発言の自由を与えましょう」このローザ・ルクセンブルクの名言とその背景について教えてくださった授業は、とても楽しかったことを今でも覚えています。授業後、映画の感想を伝えたりしていると、先生も私のことを覚えてくれたらしく、「橋満君はゼミに入ってないようだけど、それでいいの?」と、軽い感じで質問してくださったこともありました。僕は何も深く考えずに「はい。大丈夫です」と返してしまったのですが、もしかすると自分のゼミに入れようと思ってくださっていたのかもしれません。本当に優しい方でした。

卒業式後の謝恩会での松岡先生との会話が、その後の人生において苦しい時も悔しい時もとにかく勇気が湧いてくる、大事な出来事になりました。ゼミに入っていない学生はどうしても行き場がなくなるので、卒業証書を受け取り、知り合いと先生に挨拶したらすぐに帰ろうと思っていたら、松岡先生だけ見つかりません。寂しいなぁと思いつつも、ゼミの学生とお別れの挨拶をしてるのだろうと諦めかけていたら、先生が帰りの出口で、お別れの挨拶をしながら卒業生一人ひとりを見送られていたのです。先生の姿を見つけた時の嬉しさは、今思い出しても涙が出そうになります。私もお別れの挨拶をさせていただいたのですが、松岡先生から「橋満君は、今後の進路はどうされるんですか?」と聞かれたので、「実はまだ何も決まっていないんです」と言うと、「あなたのような人がどういう将来を生きていくのか、僕はすごく興味があるし、あなたみたいな人の人生が楽しみだ。道を決めたら必ず連絡をください」と言ってくださりました。

そして私は、その後、就職や転職など、人生の転機が訪れるたびに、先生にメールで報告をさせていただきました。自分にとって苦しい時代が続き、やっとの思いで起業をして先生にご連絡したところ、「君ならそうすると思っていたよ」と起業の道を選んだことをとても喜んでくださいました。この温かさは何なのだろうかと、未だに何とも言えない感慨深い気持ちになりながら、先生の言葉を今でも何度も思い返し、励みにしています。

龍谷大学という素晴らしい場所で、多くの恩師に出会いました。

もし、現役生や卒業生の方で「今」に不満があっても、この懐深い学校には、自分さえ望めば必ず、一歩踏み出させてくれる何かがあると、私は思います。

長くなって申し訳ございませんが、あと1名だけ、泉谷しげるさんについて書かせてください。

大学の学園祭に来てくださった泉谷さんのステージを、私は割と前方の席で観ることが出来ました。泉谷しげるさんは、「お前らタダで俺のステージを見やがって!」と悪態つきながらも、圧巻の楽しいステージを観せてくださりました。

「タダで見させていただいた恩返しをしないとな」という気持ちで、宮崎で起きた口蹄疫の被災地イベントで協賛をさせていただいたり、泉谷さんの絵画を買って会社の玄関に飾ったりしています。しかし、大きな災害が起こるたびに被災地に駆けつけて社会貢献を続けられるなど、とにかく先に先に進まれているので、なかなか追いつけず…。いつかお会いしてしっかりと恩返しできればと思っています。

社会貢献の大事さを教えてくださった泉谷しげるさん、そして、泉谷さんに出会わせてくださった当時の学祭実行委員の皆様にも、この場をお借りして感謝を述べさせていただきます。